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2020年 4月 12日
イースター礼拝

説教要旨

金曜日の夕方にイエス様は十字架から取り降ろさ

れ、安息日になる前に慌ただしく墓に納められた。

女たちは遺体に塗る香料を買い、安息日明けに

丁寧に葬ろうと、夜明けを待たずマグダラのマリア

が墓にやって来た。すると墓の入り口の石の蓋が

脇に転がっていて、墓の口がポッカリ開いていた。

マリアは弟子たちの所に走って、誰かが主の遺体

を持ち去った、と告げた。ペテロともう一人の弟子

(多分ヨハネが走ってきて確認する。「信じた」と

は、単に遺体が無くなった事「信じた」のである。

イエス様が予告していたメシアの復活の御言葉を

誰も理解していなかった(1610)。 彼らはこの

事態を理解できないまま、引き上げて行った。

しかしマリアは墓の前から動くこともできずにいた。

十字架の上で絶命され、墓に収められたイエスを

確かに見た。そして安息日が終わったら、香料を

十分に塗り、遺体を整えて葬りたかった。

それで夜明け前の暗い道をやって来たのだった。

遺体でもいい、イエス様に会いたかった。しかし

墓に来てみると何ということか、墓は空だった。

イエス様の思い出のよすがとなるべき亡骸はどこ

に行ってしまったのか。心に穴が開いてしまった

ように、真っ暗で何も考えられなかった。

ふと、もう一度墓の中を覗くと、白い衣を着た2

のみ使いが見えた。その時、後ろに人の気配がし

て振り向くと人が立っていて、「何故泣いているの

ですか」との声。マリアは管理人だと思って、「あの

方をどこへ運んだのですか?」と尋ねた。

イエスは言われた「マリア。」・・・はっとした。自分

を呼んでくれたのは慕わしいイエス様の声だった。

他の節のマリアはギリシア語だが、この「マリア。」

は、日常会話に使われていたアラム語で、イエス

様がマリアに呼びかけている呼び声を表している。

マリアはイエス様が自分に呼びかける、その愛情

を込めた声に反応して目が開かれたのである。

懐かしい声に思わず「ラボニ」先生!と縋りついた。

彼女はイエス様が「私は復活する」(1616)、と言

っておられたのに、信じていなかったことをどんな

にか悔やんだことでしょう。 復活した主は私たち

の名前をも一人一人呼んでくださる。主が復活さ

れたことは私たちの復活の約束で
(
Tコリント1520) 
主のみ声に聞き従ってい
きましょう。

新規:2020/4/11