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2020年 4月 19日
主日礼拝

説教要旨


 
イエス様は、甦られた日に弟子達の前に現れたが、 その時、弟子の一人トマスはその場にいなかったの で、他の弟子たちの「見た」との証言を信じなかった。 他の皆が「現れた、」と言っているのに、私は自分の 目で見なければ信じないとは、何と頑固な実証主 義者だろうか。

 トマスはもとからの不信仰な人ではない。(11:16) 主が、死んだラザロのところに行くと言われた時、 早とちりで、私達も行って主と一緒に死のうではない か、と見当違いではあるが勇ましい応答をしている。 イエス様はそのようなトマスを愛しておられたので、 傷のあるみ手を示して、「信じない者にならないで、 信じる者になりなさい」と言われた。もちろんトマス は申し訳なさに胸もつぶれんばかりだったでしょう、 「私の主、私の神」と告白しました。

 私達も「見ないで信ずる者は幸いである。」と言わ れたように、この眼で見ることのできない所にいる。 イエス・キリストは神の子、私たちの救い主、という 信仰は私たちの救いに関わる大切な信仰である。 (ウェストミンスター小教理85〜87問)

私は昔から疑い深い人間でして、オレオレ詐欺が 逃げて行ってしまいます。時々それらしい電話が かかってきますが、一言二言で、間違えました、と 言って電話が切れてしまいます。信仰についても 悩んだことがあります。 自分はなんと不信仰で 弱い人間だろうか、これでもクリスチャンだろうか」 と思うことがよくありました。(今でも時々)

 しかし、信仰は神様が与えて下さる賜物である ことを教えられて、安心しました。(Tコリント12:9) 動物の赤ちゃんに譬えると、猿のように、親に自 分でしがみつかなくていいのです。親がくわえて 運んでくれる猫の赤ちゃんのように神様は私たち を運んで下さるのです。イエス様も「あなたの信 仰がなくならないように祈った」(ルカ22:23)、と おっしゃって、天の神様の右の座で私たちのた めにとりなしていてくださいます。神様に信頼し て、お任せすることが信仰の極意です。

新規:2020/4/18