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2020年 5月 3日
主日礼拝

説教
ヨハネ 1章 6-13節

1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

説教要旨

 イザヤの予言した苦難のしもべ・メシヤの待望久しく
いのちの光が現れようとしたとき、その証しをするために
ヨハネという人が遣わされて来た。
彼は真の光が現れるに先立って、人々が信じるように
先ぶれとして証しするために来た。
ヨハネのもとには多くの人々がやって来て、
その教えを聞いて、バプテスマを受けていた。

しかし彼は、自分はあくまで光について証しする
証人だと言って、後からくるお方を紹介した。
世の始まる前に存在し、世界を創造したお方を、
創造された世界は知らなかった。ご自分のところに
来られたのにご自分の民は受け入れなかった。

今日でも、世界を創造したお方を人類は知らない。
人は、人類や世界の初めを創造の神様を抜きに
説明しようと苦心している。 しかしこの方を受け入れ、
信じた人々には神の子となる特権を与えた。
すばらしいめぐみですが、罪の中に生まれ育った
私たちが、神様の子にしていただけるとは畏れ多い
ことです。ナイル川に捨てられた赤ん坊がエジプト
の王子になったモーセのように。否それ以上の幸福
です。(出エジプト2章)川辺の葦の中に捨てら
れて風前の灯として消えようとしていたモーセの命は、
エジプトの王女に拾われてエジプトの王子になり、
そして後にイスラエル人をエジプトから救いだす
器として神様に用いられるようになりました。

しかし神の子にされるということはそれ以上の幸いです。
罪の中に生まれ、死と滅びに定められていた私たちを、
神様はみ心にとめて罪を赦して下さった。
そして神様の子にして下さった。 
それはなぜでしょうか。(13節)、血筋によってではなく、
肉の望むところでもなく。人の意志によってでもなく、
人の努力によって為されるものでもない。

要するに神様の一方的な愛と憐れみによって、
神の子となる特権をいただいたのです。
自分がどうして救われたのか、人の目にはいろいろ
な事情、準備やプロセスがありますが、
神様はそれらすべてを働かせて私たちのために
救いを与えてくださったのです。


新規:2020/4/28 Amended 2020/5/2