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2020年7月5日
主日礼拝

説教

ヨハネの福音書 3章 16〜21節

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
3:19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
3:20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
3:21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。



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説教要旨

ヨハネ 316「聖書の中の聖書」と言われる程、

キリストによる救いのエッセンスをよく表している。

元来人間は神の光の中で生きる者として創造され

たが、サタンに誘惑されて神に背き、罪を犯した

めに神から離れ、罪と滅びの中に生きてきた。

罪のために肉体は生きていても、霊的には光を恐

れ、闇を愛することが性(さが)となった。この霊的

に死んだ状態を19節では「さばき」と呼んでいる。

光が世に来ているのに、とは、神の愛は人々を救

うために独り子イエス・キリストをつかわして十字架

にかからせ、人の罪の贖いをすると言う救いの道

を備えられた。そのイエスキリストがこの時すでに

に来ておられたことである。

この神の救いを信じた者には神のあがないが適用

される。神が御子キリストを遣わされたのは、罪人を

裁くためではなく、御子によって世が救われるため

である。この救いの道を備えて下さったのは神様で

す。それは、私達を愛する神の愛が、この比べる

物がないほどの大きなめぐみ、独り子を私たちの

罪が赦されるための身代わりにして下さったことで

す。この恵みと愛は、私達の理解することができな

いほど大きく深いものです。理解することはできな

いが、その命は私たちの内に入って、私達に新し

い生き方を与えて下さったことを体験的に知ってい

ます。


Since 2020/6/28 Updated 2020/7/5