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2021年 5月30日
主日礼拝

説教
ローマ人への手紙 3:21-31

3:21 しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。
3:23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
3:24 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
3:25 神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。
3:26 すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
3:27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような種類の律法によってでしょうか。行いの律法でしょうか。いいえ、信仰の律法によってです。
3:28 人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 神が唯一なら、そうです。神は、割礼のある者を信仰によって義と認め、割礼のない者も信仰によって義と認めてくださるのです。
3:31 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになります。

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当日の説教
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説教要旨

ユダヤ人の誇る律法も、割礼も、神の義を得るには
無効でした。 「しかし、今や」と、律法の時代から恵
みの時代へと一新される大転換を告げる。
別の新しいものが持ち込まれるのではなく、旧約聖
書を土台として、キリストにより、信仰による神の義が、
信ずる者に与えられる、恵みの時代となったのです。

23すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けること
ができずと、すべての人は、罪があるため、神の栄光
を受けられない。しかもそれは一人残らず、すべての
人である。それだけでなく死と滅びに定められて、神
の怒りの下にいるのが人間である。

神の怒りは、不義をもって真理を阻む人々の上に天か
ら降るのである。神の怒りは御子イエスの十字架によっ
てすべての人の罪が、処罰され、贖われ、宥められた。
珍しい言葉だが、御子をお与え下さった父なる神が、
御子により怒りを収められた。苦しみと愛のこもった宥
めである。

神の栄光とは、神の御臨在を表す光、モーセの顔に
輝いた光、イエスの変貌の時の御顔の光。(マタイ17:2)
終末の時、人の卑しいからだが、栄光の主と同じかた
ちに姿を変えられ。(Ⅱコリント3:18)

これはクリスチャンの上に、聖霊が満ちる時に、実現
することです。私たちも再臨の時に栄光の体に変え
られるが、今も、聖霊によって、内部から、神の栄光
をあらわすものとして変えられつつある者です。


Since 2021/5/3 Updated 2021/5/30