○○
2021年 6月6日
主日礼拝

説教
ローマ人への手紙 4:1-25

4:1 それでは、肉による私たちの父祖アブラハムは何を見出した、と言えるのでしょうか。
4:2 もしアブラハムが行いによって義と認められたのであれば、彼は誇ることができます。しかし、神の御前ではそうではありません。
4:3 聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。
4:4 働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
4:5 しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。
4:6 同じようにダビデも、行いと関わりなく、神が義とお認めになる人の幸いを、このように言っています。
4:7 「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
4:8 幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」
4:9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」と言っていますが、
4:10 どのようにして、その信仰が義と認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。割礼を受けていないときですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときです。
4:11 彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、
4:12 また、単に割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていなかったときの信仰の足跡にしたがって歩む者たちにとって、割礼の父となるためでした。
4:13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです。
4:14 もし律法による者たちが相続人であるなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまいます。
4:15 実際、律法は御怒りを招くものです。律法のないところには違反もありません。
4:16 そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。
4:17 「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。
4:18 彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
4:19 彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
4:20 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
4:21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
4:22 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
4:23 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
4:24 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
4:25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。。

もし自動的に音声が流れない
場合、ここをクリック
当日の説教
<準備中>
♪ 事前録音分


説教要旨

神の義は、行いにはよらず、信仰によって与えられ
ることを論証したパウロは、さらに、その実例として、
ユダヤ人が最も信頼するアブラハムと、ダビデ王を
取り上げて例証する。アブラハムはメソポタミアのハ
ランを出て、カナンへの旅の途上、神から「あなたの
子孫は星の数のようになる。」と約束された。それを
信じた時彼はその信仰を義と認められた。

何かを行った功績によるのではなく、ただ約束を信
じて受け入れただけで、その信仰を義とみとめられ
たのである。ダビデも、行いと関わりなく、神が義と
お認めになる者の幸福を歌った。これは詩篇からの
引用であるが、元の詩篇32篇はこの赦された幸いの
前に、ダビデが犯した大罪の苦しみが歌われている。

イスラエル史上最大の名君と称えられたダビデが
隠していた罪を、預言者ナタンに指摘された時に、
すぐにへりくだって身を低くして罪を認め、悔い改
めたことにより、罪が赦され、神の前に回復させられ、
信仰者の特権を失うことがなかった。

ダビデにも、アブラハムにも遠く及ばない私たちに
とって、何の功績もなく、ただ素直に信じるだけで罪
が赦され、義とされるという約束は何という恵みだろ
うか。アブラハムの信仰については、彼自身99歳の
高齢で、妻のサラも90近い、しかももとから不妊症と
言う、子供を持つことなど思いもよらない時に、子孫
を増やすという神の約束を信じた。その信仰によっ
て義とされたのである。 

神は命を与えるお方であり、約束したことを実現
する力があることを信じた。私たちも、神がイエス
キリストを復活させたことを信じ、私たちも蘇らさ
れることを信じる者は、アブラハムの信仰を受け
継ぐものとなる。

Since 2021/6 4 Updated 2021/6/5