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2021年 6月27日
主日礼拝

説教
ローマ人への手紙 6:1-14

6:1 それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。
6:2 決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。
6:3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
6:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
6:5 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
6:6 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
6:7 死んだ者は、罪から解放されているのです。
6:8 私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。
6:9 私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。
6:10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
6:11 同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
6:12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。
6:13 また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。
6:14 罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。

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説教要旨

ここまで語られた、信仰による救い(神の義)に続き、
実践的にバプテスマについて語る。信仰によって
与えられる罪の赦しは、どんなに大きな罪でも赦さ
れる、と聞くと、それならば大きな罪ほど許される恵
みも大きいのだから、もっと罪を犯そう、という者が
出てくることが予想されるが、それに対して、「決し
てそんなことはない」と強く否定する。

罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪の中
に生きられるだろうか。キリストによって救われ、神
の国の者とされた者が、どうしてなおも罪の中に生
きていられるだろうか。神の子とされても地上に生き
ている私たちは、罪の誘惑や試みに会う事は避け
られず、時には罪に捕らわれることもあるが、故意に
罪の中に留まり、罪を犯し続けることはできない。
それは神の子をもう一度十字架につけること(ヘブ
ル6:6)と言われる。

“キリストにつくバプテスマを受けた私たちは、”の、
“つく”バプテスマとは、直訳はキリストの中へバプテ
スマされることで、バプテスマによってキリストの中
に入るように、キリストとの一体化と、強い命の絆の
中に置かれてキリストと共に生きることを意味する。
そしてキリストの死に与るバプテスマと言うのは、
同じようにキリストの死の中へバプテスマされる事。

その意味は十字架にかけられたキリストとの強い絆
によって、私たちも十字架によって罪に対して死
に、罪との絆が断たれることを意味する。

古い人がキリストと共に十字架につけられたのは、
罪の身体が滅ぼされ、罪の奴隷でなくなり、自分
が罪に対して死んだ者であり、神に対して生きて
いるものだと認めなさい。
自分の体を不義の道具として罪に献げるのでなく、
死者の中から生かされた者として、自分の体を神
に献げて、義の道具として神に献げて生きよう。


Since 2021/6/20 Updated 2021/6/26