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2021年 7月11日
主日礼拝

説教
ローマ人への手紙 6:15-23

6:15 では、どうなのでしょう。私たちは律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決してそんなことはありません。
6:16 あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。
6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました。
6:19 あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。
6:20 あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
6:21 ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。
6:22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。
6:23 罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

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当日の説教
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説教要旨

恵みの下にあるのだから、もっと罪を犯そう、という
議論は「信仰による義」を宣べ伝えるパウロに対し、
反対者たちから度々浴びせられる反対論の一つ
でした。パウロはこのローマ人への手紙で何度も
論じ、強く否定している。

私たちは、積極的に罪を犯そうと言わなくとも、「す
べての罪が赦されたのだから、これくらいはいいだ
ろう」と、罪を許容し、御言葉への不服従の言い訳
にすることは無いか。聖霊の助けを祈ろう。

神の赦しの恵みを深く思うときに、罪の赦しが、どれ
ほど大きな代償によって与えられたものか、考えさ
せられる。罪の誘惑に駆られるときには、再び常習
的に罪に陥る者に言われたヘブル書の、「神の子
をもう一度十字架の上に曝す者」との御言葉を覚え
よう。人は何を主人として自分を献げるかによって、
罪の奴隷にも、神の奴隷にもなり得るのである。

私は自分の意志によって行動して、誰の奴隷にも
なったことがない、と言うものは、知らずに自分を
縛っている自己中心と言う罪の奴隷になっている
ことに気付いていない。人の意志をいつの間にか
乗っ取る依存症も、ギャンブルや薬物だけでなく、
人の心を占拠して、主人の座を奪うものは数多い。

心の中心にキリストがいて下さるなら、私たちの人生
は多くの実を結ぶことが出来る。神の奴隷として、
聖潔に至る実を結び、永遠の命に至る道を歩くこと
ができる。

Since 2021/7/4 Updated 2021/7/10