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2021年 10月17日
主日礼拝

説教
ローマ人への手紙 14:1-12

14:1 信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
14:2 ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。
14:3 食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。
14:4 他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。
14:5 ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14:6 特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
14:7 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
14:8 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。
14:10 それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。
14:11 次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」
14:12 ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。

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当日の説教
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説教要旨

ローマの教会にパウロは行ったことはないが、色々
なクリスチャンがキリストの福音を伝えて、キリスト者
になった者が集まって、教会が出来ていた。しかし
その中には意見を異にする人々がいて、互いに批
判し争っていたことが伝えられた。食べ物のことで、
偶像の神殿で犠牲として屠られた動物が、市場で
肉として売られていた。(Ⅰコリント8章、別の地域)

それを食べることが偶像礼拝にかかわることと考え
て絶対に食べない人々がいた。一方で偶像など
実体のない物だから、献げ物の肉にも何の意味も
ない、と考えて気にしないで食べている人々もいた。
どちらもイエスキリストを信じて神に従うクリスチャン
たちが、互いに批判し、さばき合っているのを見て、
パウロは「他人の僕を裁くべきでない」と戒める。

神について、罪について、キリストの救いについて
など、信仰の本質にかかわることは少しの妥協もす
べきでないが、信仰に関連することでも、はっきり
教えられていないことについて、神に受け入れられ、
それぞれが確信を与えられている事は互いに尊重
し合うべきではないか、と。

それを、他人のしもべを裁くあなたは何者か。と反
省を促す。今日では更に聖書が与えられているの
で、聖書を基準にして、受け入れ、歩み寄る判断も
あり得る。何よりも、生きるのは主のため、神に従う
ためという原則。生きるのも、死ぬのも主のためと
言う信仰が大切である。

そこから、日を重んじることも、肉を食べることも、
その他の信仰生活全般の具体的な判断が生まれ
るべきものです。神に救われた者同士、自分のた
めに生きるのでは無く、主のため、兄弟のために
生き、受け入れあおうではないか。


Since 2021/10/11 Updated 2021/10/15