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2022年 1月30日
主日礼拝

説教
ヨハネの福音書 13章6-11節

13:6 こうして、イエスがシモン・ペテロのところに来られると、ペテロはイエスに言った。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは彼に答えられた。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります。」
13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足を洗わないでください。」イエスは答えられた。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」
13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。あなたがたはきよいのですが、皆がきよいわけではありません。」
13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「皆がきよいわけではない」と言われたのである。。

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説教要旨

イエス様は7節「わたしがしていること」、「わたしが洗わなければ」と言われました。ペテロたち弟子たちの願いではなく、イエス様がそうしてくださったからでした。
ペテロたちがイエス様の弟子となったことも、ここまでついてくることができたのも、イエス様からの働きかけ、イエス様が選んでくださったからでした。
「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました」(ヨハネ15:16)。
ペテロはこの時、イエス様がなぜ足を洗われたかわかりませんでした。
ペテロの「洗わないでください」と言ったり、「手も頭も洗ってください」という的外れな理解であっても、イエス様による罪の赦しがペテロたちに行われました。
イエス様の贖いは、神様が「自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられた」(エペソ1:5)人たちの救いについて、何がどうあろうと行われるのです。
本人の理解に関係ありません。それは不完全かもしれません。これから失敗するかもしれません。しかし、その罪はもう問われないのです。
キリストの贖いによって、罪の罰が償われ、神様の前に罪なき者として受け入れらました。罪の赦しはすべての罪に対してであり、完全です。
イエス様を信じた時、その時までに犯した罪が赦されただけでなく、それから犯すであろう新しい罪も含めてです。
「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」(Ⅰヨハネ1:7)と言われているとおりです。
イエス様は、私たちを愛して、十字架にかかって死んでくださいました。
それが「世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された」(13:1)愛でした。

Since 2022/1/22 Updated 2022/2/3