○○
2022年 3月27日
主日礼拝

説教
マタイの福音書 5章8節

5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

詩篇 24篇 3-5節

24:3 だれが【主】の山に登り得るのか。だれが聖なる御前に立てるのか。
24:4 手がきよく心の澄んだ人そのたましいをむなしいものに向けず偽りの誓いをしない人。
24:5 その人は【主】から祝福を受け自分の救いの神から義を受ける。

もし自動的に音声が流れない
場合、ここをクリック
当日の説教
<準備中>
♪ 事前録音分


説教要旨

心の清いものは幸いです。その人たちは神を見る
清い(カタロス)は、混じりけのない純粋さを指す。
詩篇に、誰が神に近づくことができるか描かれる。
 詩編24:3 だれが、【主】の山に登りえようか。
だれが、その聖なる所に立ちえようか。 手がきよく、
心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに
向けず、欺き誓わなかった人。その人は【主】から
祝福を受け、その救いの神から義を受ける。

神のみ前に出ることを許される者は、肉欲や自己
中心的な空しい欲望に囚われず、主に従う者で
ある。この詩篇が「清いものは幸い」の元にある。
神の聖さは人には近寄り難く、罪ある者が近づ
くならば滅ぼされる。しかし一方、神はその清さ
を、近づこうとする私たちに与えて助けて下さる。
マタイ6:24誰も2人の主人に仕えることはできない。

神に買い取られ、神のものとなった私たちは、
神と富とに同時に仕えることはできない。また主
の盃を飲みながら悪霊の盃を飲むことはできな
いと教えられている。心の清いものとは、神と富
とに心が分かれず、一心に神に従う者である。 
この世に生きる限り、人間には衣食住など必要
なものはある。しかし、神を第一にして従う者に
は、生きるのに必要なものはすべて神が与えて
下さるというのが神様の約束である。(マタイ6:33)

神を第一に生きる。と言葉で言うのはたやすいが、
信仰を貫こうとする時にいろいろと邪魔が入る。
経済的損失、対人関係、家族関係、極端な時は
人生をかけ、命を懸けなければならない事もある

自分の中で恐れ、退く心を感じるかもしれない
が、要は、主イエスを一心に見つめて従うこと
である。
神を見る、とは主を知り、信頼することである。
私たち人間は神を肉眼で見ることはできない
が、イエス・キリストは神を表しておられるので、
キリストを通して神を見るという意味でもある。
いずれにしても、私たちは神を見、神に似た
ものにされる(Ⅰヨハネ3:2)という約束を与え
られている。

Since 2022/3/21
Updated 2022/3/26