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2022年 5月8日
主日礼拝

説教
マタイの福音書 5章 17~20節

5:17 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
5:18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。
5:19 ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。
5:20 わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

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当日の説教
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説教要旨

パリサイ人たちはモーセの律法の条文を文字通りに
守ることを信仰の行いとして最も大切にしていたが、
イエス様は律法の目的を踏まえて心から神を愛し、
人を愛するために律法を行うことを教えられた。
しかし、表面的に見るパリサイ人の見方からすると、
安息日にも人を助ける良い行いはすべきだなどの
言葉が、旧約の律法を破る者として反発され、敵対
視されていた。

律法は元々人がどのように神と人を愛して生きるべ
きかを教える手引きのはずですが、その目的をそれ
て条文を形式的に守るようになったパリサイ人のよう
に、目的を見失ってしまったところに問題があります。
イエスは、私は律法を廃止するために来たのではな
く、律法が成就し、完成するために来たのだと、形式
ではなく、律法の目的が大切だと言われました。

律法を、その精神にまで及ぶ真の理解に立って従
うこと、そして完全に従うことが出来ない私たち人間
の罪を、ご自身を犠牲にして贖って下さったことによ
り、律法の要求するところを全部満たして下さったこ
とでも、律法を完成されたのである。
あなたがたの義が、パリサイ人、律法学者に勝るもの
でないなら、天のみ国に入れない、とは厳しい言葉

ですが、義は行ないによって得られるもので
はないことは明らかですから、これは私たち
のキリストを信ずる信仰を問う言葉として受け
止めるべきでしょう。

Since 2022/5/1 Updated 2022/5/6