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2022年 6月26日
主日礼拝

説教
マタイの福音書 20:29~34

20:29 さて、一行がエリコを出て行くと、大勢の群衆がイエスについて行った。
20:30 すると見よ。道端に座っていた目の見えない二人の人が、イエスが通られると聞いて、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。
20:31 群衆は彼らを黙らせようとたしなめたが、彼らはますます、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。
20:32 イエスは立ち止まり、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」
20:33 彼らは言った。「主よ、目を開けていただきたいのです。」
20:34 イエスは深くあわれんで、彼らの目に触れられた。すると、すぐに彼らは見えるようになり、イエスについて行った。




説教要旨

当時多くの人々が主イエスに従っていた。 彼らは
主イエスの行う奇跡や癒しを目にしていたので、自
分も何か得られるかもしれないと考えていた。中には
主イエスの語る天国の真理、神の御言葉に渇いて
いる人達もいた。ある日、二人の目の見えない人が
道ばたに座っていた。彼らは見えないけれども聞く
ことはできるので、イエスが傍を通るときにイエスに
叫んだが、他の人は彼らが叫ぶのを止めた。

しかし彼らはますます大きな声でイエスに憐れみを
求めた。彼らの生活には光がなく暗闇の中で生きて
いた。自分の力で生きていく事ができず、他の人の
助けと施しが必要だった。 今の社会でも人々は
イエスに出会う前はこの二人と同じで暗闇の中に生
き、多くの罪に縛られ、そこから抜け出すことができ
ず、最後にどこに行くのかを知らない。

しかし、彼らは自分の状況を知りイエスの奇跡を知り
信じ、機会が来たときにそれをつかみ、他の人に止
められてもイエスに叫び続けた。そこで主イエスは
立ち止まって彼らに尋ねた。「わたしに何をしてほし
いのか」。主はすでに彼らの必要を知っておられた。

彼らも自分の必要を知っていた。見えるようになる
こと、この暗闇の生活から抜け出すことを心から願っ
ていた。 そこで主イエスは憐れみを持って彼らの
目に触れ見えるようにしてくださった。彼らはすぐに
見えるようになって主に従った。
主は私たちにも「わたしに何をしてほしいのか」と
問いかけておられる。 

私たちは自分の必要をハッキリと知っているだ
ろうか。私たちは日々主に祈る時、どのような
態度で祈っているだろうか。
テキトウに?或いは熱心に? 多くの困難や妨
げがある時、私たちも彼らのようにイエスに叫び、
助けと憐れみを求めるなら、主は私たちを憐れ
み助けを与えてくださり、私たちが光に向かって
主に従う事ができるようにしてくださる。

Since 2022/6/22
Updated 2022/6/25