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2022年 7月3日
主日礼拝

説教
マタイの福音書 5章43~48節

5:43 『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。
5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。
5:48 ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。

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当日の説教
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説教要旨

イエス様は、「あなたの隣人を愛し、敵を憎め」と言
われるが、私は「自分の敵を愛し、自分を迫害する
者の為に祈りなさい。」と言われた。「隣人を愛しな
さい」は旧約聖書に書かれているが、「敵を憎め」は
聖書に書かれた教えではない。周囲の国といつも
緊張状態にあったイスラエルは、隣人とは誰か?と
尋ねた律法学者のように(ルカ10:24)隣人の範囲を
狭め、それ以外の他国人を敵と考える傾向があった。

それに対してイエスは、自分の敵を愛し、迫害する
者の為に祈れ、と命じられた。それは、敵味方なく、
全ての人々に等しく恵みを注がれる、父なる神の子
供となるためである。一般恩恵として私たちすべて
は神様の創造された世界の中に在って、生存を支
える環境の中に等しく置かれている。

与えられた生命の恵みを感謝する神の子である。
その中に在って、イエス・キリストによって神の子とさ
れた者たちは、父なる神の救いを受け、罪を赦され
た者として、私達を迫害する者の為に救いを祈る者
とされるのである。

自分を愛してくれる人を愛したとしても、それは何の
善い行いでもない。取税人でさえしている。自分の
兄弟にだけ挨拶したとしても、何か勝ったことをして
いるか。異邦人でさえしている事。仲間内で挨拶し、
贈り物を贈りあい、親切にし、時に応じて助け合う。
心のこもった付き合いはこの世の人々でもしている
事で、神の子とされた人だけの物ではない。

私達に敵対し、非難し、迫害する人々に、
親切にし、その人のために祈ることこそ、
キリストによって救われ、神の子とされた
クリスチャンに相応しいことです。「完全」
になることは思いもよらぬことだが、この
「完全」は、「完成する」、「大人になる」と言
う意味のことばです。そのようにして私たち
は神の国を目指しての旅を続けるのです。

Since 2022/6/27 Updated 2022/7/1