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2022年 11月13日
主日礼拝

説教
マタイの福音書 9:35~38

9:35 それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。
9:36 また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。
9:37 そこでイエスは弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
9:38 だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

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当日の説教
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説教要旨

四福音書はイエス様の生涯とその教えを4人の福音
書記者が書き留めたものであるが、同じ記事が互い
に重複している部分が多い。以前(5年前)マルコの
福音書によって通して学んだことがあるので、今後
マタイの福音書でマルコと同じ(並行記事)部分は
飛ばしていきたい。
イエスはガリラヤの町や村を巡り歩いて教え、宣教し、
癒しを行っておられた。癒しはイエス様から使徒たち
によって初代教会時代には行われていたが、現代
では医療技術の進歩で、医療に頼ることが多い。
しかし、私たちは病気になると神様に癒やしてくださ
いと、真剣に祈り求める。人の病の癒しは神様の御
業で、神様が創造された人の体に備わった治癒力と、
医療技術を用いて、神様が癒やしてくださるのです
から、癒された時には感謝の祈りを忘れてはならない。
お願いだけして、祈りを聞いてくださったときにお礼
を言わないのは極めて失礼な態度ではないだろうか。
イエス様は群衆が飼い主のいない羊のように倒れて
いるのを見て、憐れまれた。この「あわれまれた」は
内臓という意味からきた言葉で、イエス様は胸が締め
付けられるような、強く胸に響く憐みを覚えておられ
たのである。イエス様の憐みはユダヤ人だけでなく、
全人類、そして現代の私たちにも向けられている。
その最大の発露がイエスの十字架である。
この主の憐れみを感謝して受け止める者が主の救
いに与るのである。そして主は、見捨てられた羊たち
のような人々のため、「穫り入れのためのはたらき手」
を送ってもらうように神に祈ることを教えられた。

それは麦を刈り取りその束を神の倉にとり入れること
であるが、また、失われた羊を神の羊小屋に保護す
る仕事でもある。イエス様はやがて天に帰られたが、
地上に残された弟子たちがその業を受け継ぎ、広げ
て今もそれは私たちに託されている。私たちも置か
れたところで主の憐れみのわざを受け継いでいこう。

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