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2023年 4月23日
主日礼拝

説教
ヨハネの福音書15章1~6節

15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
15:2 わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
15:4 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
15:6 わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。


当日の説教
♪ 事前録音分


説教要旨


イエス様が弟子たちに望んでおられることは、イエス様にとどまりつづけることです。わたしにしっかりつながっていなさい。わたしとの密接、親密な交わりのなかで生きなさい。すべての重荷をわたしの上に降ろしなさい。このように歩めば、あなたがわたしを失うことは決してありません。そうすればイエス様はいつも私たちの中にとどまってくださるのです。
私たちは、イエス様にとどまるという自分の意志によってとどまるのです(それも御霊の働きです)。そうすれば、イエス様も私たちの中にとどまっていてくださいます。私たちは、イエス様を離れては、自分の力では何一つ実を結ぶことができないからです。
「多くの実を結ぶ」ために父なる神様が刈り込みをなさいます。私たちは、神様から苦難を試みとして受けることがあります。それは「多くの実を結ぶ」ための神様からの働きです。
私たちが、イエス様というぶどうの木につながる枝として実を結ぶには、どうしたらよいのでしょうか。それはイエス様の話されたみことばにとどまり続けることです。みことばに私たちの生活を結び付けることが、イエス様にとどまることなのです。
私たちは、信仰の歩みによって実を結びます。私たちは、みことばによってイエス様にとどまり、もっと多く実を結ぶようになりたいと願いながら、これからも信仰生活を送っていきたいと思います。

Since 2023/4/27 Updated 2023/4/30