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2023年 5月21日
主日礼拝

説教
天地の造り主

創世記 1:1~4

1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。

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後日Up予定
当日の説教
なし 事前録音分


説教要旨


創世記1:1~4

1. 神様が天地を創造されたのは事実ですか。

創世記1章1節は、「はじめに神が天と地を創造された」という言葉でこの世の始まりを記録しています。 しかし、現代の多くの人々はこの事実を否定し、科学的ではないと主張しています。 しかし、この世界が創造されたのか進化したのかに対する判断は科学的に不可能です。 なぜなら科学は常に現在、目で直接見られるものだけを証明できるからです。 誰もこの世の始まりを直接見た人はいません。だからこの世の始まりを各自の方法で推測して信じるしかありません。 進化論者たちは化石や地質学的な証拠を通じて、この世が偶然の結果だと言いますが、化石や地質学的な証拠はむしろ神様が この世を造られたということをもっと信じさせる証拠と解釈される場合も多いです。 だからこそ、神様がこの世を創造されたということは、彼らの主張のように否定できません。それで解釈が不明な証拠としてこの世の始まりを推測するより明確な聖書の記録通りに信じることがより賢明なことです。私たちは神様がこの世を創造したと聖書に記録された通り信じています。

言葉が少し難しくなりました。 単純に言って、神様がこの世を創造したと信じる私たちの信仰が科学的ではないと言う進化論者たちの主張も科学的ではないということです。 ですから、信仰でこの聖書の真理を信じて信頼することは可能なことです。 神様は明らかにこの世界を創造しました。 私たちはこの聖書の内容を事実として信じています。

2. では、神様はこの世をどうやって創造したのですか。

1)まず、神様はこの世を御言葉で創造しました。「 光、 あれ」、このような御言葉一つにすべては生まれて現れました。 他の宗教や伝説の中から出てくるこの世の創造は、内容が複雑で非倫理的な話まで含んでいますが、聖書はこの世の始まりをたった 7 つのヘブライ語だけで語っています。 そして、それは複雑な内容ではなく、聖なる神様の一言でなされた簡単明瞭な一つのでき事でした。
神様の御言葉は何もないところから世界を創造されました。この世と私たちを存在するようにしたのが一番大きな恵みであり、また罪によって永遠に死ぬべき私たちに永遠の命を与えた恵みです。ですから毎日この聖書を読んで黙想し、勉強して記憶し、守って生きるならばわたしたちは命のなかで生きていくことができます。

2)そして神様はこの世を無造さに造くられたのではありません。無秩序なものから段階を行って秩序あるものにしていきました。 最初に創造された世界は茫漠でなにもありませんでした。 しかし、光が生じて昼と夜ができて空と地ができ、海と陸地が作られました。 順序と秩序を持って体系を整え、この世が創造されていくことを示しています。 使徒パウロは、「神は混乱の神ではありません」と教えています。 それで礼拝も秩序がなければならず、私たちの人生には信仰的な秩序を持たなければならないと教えています。

3) また、神様は6日という日々を通じて世界を創造されました。

1

光と闇

4

太陽, ,

2

大空(天)

5

鳥と水の生き物

3

地と海,植物

6

地の上の生き物、人間


表を見ると面白い特徴があります。 初日から三日目は何かを盛る器のようなものです。 光と闇は太陽、月と星を盛る器です。大空は空の鳥と海の生き物が入れられる器です。そして3日目には地と海、そして植物も創造されます。これは最終日に地上の動物と人間を入れる器のようなものですね。違う表現をすれば背景と登場人物で説明してもいいと思います。
しかし、詳しく見て考えてみると、このすべての過程は出産を迎えたある家庭の姿ともよく似ています。 子どもが生まれる日を準備するために、赤ちゃんの部屋をきれいに飾って掃除をします。 ベビーベッドも買って哺乳瓶や各種ベビー用品を買っておいて、よく飾られた赤ちゃんの部屋を満たすのです。そして、このように準備された部屋に最後に生まれた赤ちゃんがお母さんと一緒に病院から家に帰ってきます。 すべての関心と理由と目標が生まれる赤ちゃんに合わせられています。 同じように、神様の創造はその最初から最後の日とそして安息日まですべて最後に造られる人間に合わせられています。月も鳥も動物も神様は良い見られました。なぜでしょうか、最後にこのすべてが人間にとて良いものだからです。ベビーベッドを買って置くのも哺乳瓶とベビー用品を買っておいて、私たちの心が幸せなのはもうすぐ家に帰ってくる赤ちゃんのためです。だから創造は私たちのための神様の素敵なプレゼントであり、神様には栄光と喜びです。

4) 神様は人間を直接創造されました。
創世記2章は、神様が人間をどのように創造られたかが出ています。 ところが、人は他のすべての被造物とは違って創造されました。 他のすべての被造物は御言葉で命令して創造されましたが、人は神様が直接土で作りました。
7 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。

また、鼻に命の息を吹き込んだのですが、この命の息はヘブライ語で聖霊を語る時に使う単語です。 すなわち、人の体に聖霊が入って生きるものになったということです。 そして何より人間を創造される時に三位一体の神様はお互いに議論し、神様のかたち通りに作りました。
26  神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」

神様が造った人間は神様の形であり、生きている霊的存在です。 そして特別な目的と神様の使命に従うために造られた存在です。 それで神様は人を造られて非常に良かったと言われたのです。

3. 神様の創造は私たちにとってどんな意味がありますか。
まず、人間は他の動物と違って創造されたため、他の動物のような目的で生きる存在ではありません。 絶えず自分の存在理由と根源に対する質問を心に持って生きる存在です。ところで、自分の存在が理由も目的もない偶然の結果だとすれば、誰でもただ生きるために最善を尽くしますが、自分自身の存在価値を大切にしているわけではないでしょう。ただ、自分に与えられた命を与えられたまま漠然と生きるにすぎません。
しかし、私たちが神様の創造された大切な被造物だということを聖書から確認し、信じて生きていけば、私たちの人生の価値は変わります。 神様が私たちを見て喜び、満足されたという創世記の内容は、毎日熾烈に生きていくのに疲れた私たちの人生と生活に大切な価値を付与することになり、人生の姿も変わるでしょう。
また、私たちがいきているのは偶然の結果ではなく、目的と理由がある人生だということを創世記を通じて知ることになります。 神様から与えられた使命もありますが、ただ私たち自体が創造の目的であることを創世記は語っています。 目的のある人生は自分が生きていかなければならない理由となり、困難に勝つ力になります。 そして、その理由と目的に合わせて生きるということは、その人生自体が幸せな人生になることです。

それで聖書は特に創世記のこの最初の部分は私たちの創造と存在理由を神様の喜びだと教えてくれます。

Since 2023/ 5/19 Updated 2023/5/21