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2023年 5月28日
主日礼拝

説教
使徒の働き 1章 6~11節

1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」


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後日Up予定
当日の説教
なし 事前録音分


説教要旨


「主イ エスが託された使命」

主イエスは、父の約束である聖霊を待ち望むようにと弟子達に言われました。父の約束である聖霊のバプテスマを。
6節、弟子達が一緒に集まっている時に、主イエスに尋ねました。あなたがイスラエルの国を復興してくださるのは今ですかと。弟子達がこのようなことを質問したということは、彼らは主イエスが話された事の中心をよく理解していなかったと言えます。
7節、なぜなら神がお定めになった日にちや時は、神ご自身が主権を持っておられるからです。父の権利―神の主権。お定めになった日にちー神ご自身の時は、私たちが知ることではないのです。神の力は私たちの想像を遙かに超えています。私たちは何故知ることができないのでしょう。それは私たちが自分の経験や考えを持って神を理解しようとしているからです。それによって、しばしば神を間違って評価してしまうのです。
主イエスは8 節で私たちに方法を教えてくださいました。聖霊―聖霊が私たちの上に臨む時、私たちは力を受けます。聖霊の力は私たちの 思いや受け入れられる範囲を超えています。聖霊の力は自然を超えたものであり、物質や金銭で買うことのできないものです。聖霊が私たちの上に臨まれることは、神のご計画であり恵みです。しかも聖霊は神を慕い求め聖霊を慕い求める者の内に、いつまでもいてくださるのです。ここで主は彼らに、聖霊を受けてから、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、地の果てにまで、わたしの証人となりますと言われました。
エルサレムは知識と文化、宗教信仰、貿易等の中心でした。これは別の言い方をすると、私たち一人ひとりの信仰の中心を示しているとも言える でしょう。神の愛や神ご自身を知るなど様々な方面での信仰の成熟があり、それから、外に向かっての発展、開拓へと向かいます。
ユダヤ、これは教会内部を形成していくこととその成長を表しています。
サマリヤは、外の世界に福音を伝えていくことです。神を知らない人々、暗闇の権力に縛られ、悪の力に押さえつけられている人々に。
私たちが聖霊のバプテスマを受け力を受けるのは、福音を伝えるためだけではありません。聖霊は私たちと神の関係を更に深く、親密なものにしてくださいます。私たちが更に神を愛し、神にあって生き、この神を私たちの 存在を通して表し、神に喜ばれる者となるためです。
9節から 11 節、主イエスはこれらの事を話し終えると、天に上って行かれ、弟子達はその場でいつまでも天を見上げていました。彼らは自分達が何をしたらいのかわからなかったのです。彼らは、イエス様が自分達を離れて天に上って行かれたので心配し、恐れていました。この時、神は使いを送って弟子達を慰めました。主イエスは変わらないお方であり、この世界から離れて行ったのと同じように、またこの世界に来られると。神の子どもである私たちは、どのよう生きたらいいでしょう。
神を慕い求め、聖 霊が私たちの内に住んでくださることを慕い求め、私たちが真理の内を歩めるように導きを求めていきましょう。神にあって、葡萄の木の枝のように多くの実を結ぶようにと。

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