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2023年 6月4日
主日礼拝

説教
賜物を分け与えて下さる主

エペソ人への手紙4:11~16

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
4:13 私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
4:14 こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。


♪ 当日の説教


説教要旨


「賜物を分け与えて下さる主」
             エペソ人への手紙4:11~16

 神様はいつも良いものを私たちに与えて下さる方です。 私たちが今生きているこの存在自体も神様が与えて下さる恵みです。 そして、最も尊い独子イエス様を私たちのためにこの地に送ってくださいました。 そして主の教会も私たちにくださいました。 教会の中で救われた聖徒一人一人に神様は恵みの賜物を配ってくださいます。 それで今日は神様が私たちにくださった賜物について話してみようと思います。 それでは神様が私たちにくださった賜物は何があるでしょうか。

1. 神様が私たちにくださった賜物

1) 神様は私たちを造られて、私たちに性格というプレゼントを下さいました。
中学校の時、私はとても熱心に信仰生活をしていた熱心なクリスチャンでした。 それで中学校時代から宣教師や牧師になると献身するお祈りをしました。 ところが実際に神学校に行って教会の現場に伝道師として奉仕をして見ると多くの大変なことを経験しました。 私は積極的な性格ではないので人々との関係で多くの困難が生じ始めました。 よく似合って一緒に楽しい雰囲気を作っていく性格ではないので、私が牧師になるのが正しいのかと悩むようになりました。 そうして性格に関する勉強をするようになり、性格検査道具を知り悩みよりは神様の恵みを知るようになりました。神様は私と同じ性格の人も牧師として用いてくださることを確認するようになりました。
聖書には多くの人物が各自の姿で神様に用いられたのを見ることができます。 アブラハムのように静かで柔らかいが内面が強い人、積極的で情熱的な使徒パウロのような人、暖かくてすべての人を平和な関係にする バルナバのような人など、多様な人が神様に各自の姿そのまま用いられました。 特に聖書は神様が聖書を書く各著者の学歴と性格、そして時代的な文化と多様な背景をそのまま用いて聖書を書かせるようにしました。 それで聖書が豊かな神様の恵みを盛り込んでいるのです。
このように神様は私たちを罪から救って下さって、教会と呼び、一緒にキリストの体である教会を建てていく時、私たちの性格をありのまま用います。 こんなに多様な性格は神様が私たちを世の中に生まれるようにする時、私たちにくださった賜物です。
私は活発でも温かい人でもありません。 ただ難しいけど努力するだけです。 それでも神様が私にくださった良い性格もあります。 それで私のこのような性格を神様が使い、私に合う牧会の方式で神様が私を使うことをよく知っています。 それでMBTIというのは私が弱点だと思っていた私の性格を再び神様の観点から見られるように助けてくれた道具でした。

2)神様は私たちに才能を賜物として下さいました。
出エジプト記を見ると、神様がモーセに幕屋を作らせます。 その時、ただ空から突然完成した幕屋が現れるのではなく、イスラエルの民の中から人々を選んでその人達に幕屋を作らせます。 特にベツァルエルとオホリアブという人に幕屋の作る仕事をする知恵と英知を与えて下さって、そのすべてを可能にしました。 ベツァルエルとオホリアブ、そして多くの人々の才能を通じて神様の幕屋が作られました。 神様は私たちに才能を与えてくださる方です。 また、その才能を通じて神様の御業がなされるようにします。
私たちは皆、それぞれの才能があります。 芸術的な才能、数的な感覚など現れて見えるのも才能ですが、より深く考えてみれば神様の働きを可能にするすべてのことが才能です。
私たちが何かに関心を持つのも才能の一部分です。 それで貧しい国の子供たちに心がどんどん向けて行き、彼らを助けることができる仕事をしたりもします。 また教会のあちこちをきちんと整理して掃除する心も才能です。 子供たちを伝道したい心や外国に出て外国人たちを宣教しようとする心も神様が下さった関心という才能のもう一つの面です。 それで私たちの関心と心を用いて神様が働いて御業がなされます。
また、私たちの経験も私たちの才能になることができます。 私は韓国で伝道師として各教会を奉仕していた時、放送施設に関して奉仕をしたことが多いです。 日本に来てコロナが時代になり、田舎の教会では対面礼拝ができなくなりました。 その時、私の経験が教会に使われました。 インターネットでのライブ配信であり、ホームページの管理などが可能になりました。 その仕事をしていた伝道師時には、これが何の意味があるのか不平を言っていた時がありましたが、神様の時が来るとすべての経験が役に立ってに用いられるようになります。神様のうちには理由がない経験がありません。皆さんが経験している今の姿そのものが神様からの賜物であることを覚えておいてください。

2. 神様が私たちにくださった賜物を通じて奉仕と役割が与えられることもあります。

神様が私たちにくださった賜物がこのように多いです、このすべての賜物は私たちが一緒に読んだエペソ人への手紙4章の目的、すなわちキリストの体を建てることのために神様が各自の分量どおり私たちを呼び、各自に合う仕事を任せるということです。
6. 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、7. 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、8. 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。(ローマ12:6~8)

27. あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
28. 神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。
29. 皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。30. 皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。31. あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。(Ⅰコリント12:27~31)

11.こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。(エペソ4:11)


このように教会の中での任せられた仕事を見ると、霊的な能力を必要とする仕事があります。 予言すること、病気を治すこと、力あるわざを行うことなど顕著な霊的現象を通じて仕事をする人々がいます。 また、必要に応じて立てられた奉仕があります。牧師と長老と色んな奉仕者です。そして、先ほど話した才能と性格を通じて教会の中で様々な奉仕をしたりもします。 仕えること、救済すること、治めること、福音を伝えることなどです。
神様は各人々に異なる性格を与え、それに合わせてまた色々な経験をさせることで教会という共同体の色々な奉仕をさせてくださいます。 何よりも神様は聖霊でこれらのことができるようにベツァルエルとオホリアブのように才能も能力も私たちに与えてくださいました。

3. 神様が私たちにこのような賜物をくださる理由は何ですか。

12. これは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの身を立てあげるためです。
キリストの体を立てようとするのです。 このキリストの体を立てるというのはどんな意味でしょうか。それはイエス様の救いの恵みと真理の教えとイエス様が見せて下さった愛と慰めが教会を通じて現れるのです。 イエスを信じない暗い世の中に光であるイエスの福音の光が現れるのです。 ところが、頭になるイエス様は完全でありますが、彼の手足が完全なイエス様についていけないなら、教会はキリストの体を立てることができないでしょう。 それで各人が持つ先天的な性格と経験と才能と霊的な賜物を通じてお互いを助け補完し、信仰の成長がなされるのです。 私たちがよく成長することがキリストの体を立てることになります。

4. では、私たちはどうすれば成長できるのでしょうか。

1) イエス様に対する信仰と知識において一つになる時に成長します。
教会のみんなが一丸となってキリストを信じることに最善を尽くさなければなりません。 これが当たり前のようですが、実際はそうでない場合も多いです。 キリストではない他の何かに依存する人もいます。 それで、キリストを正しく知ることに最善を尽くさなければなりません。 私たちに与えられたこの聖書を通じてキリストを正しく知ることができます。そうすれば私たちの信仰の内容が一つになるのです。 教会のすべての聖徒が聖書を通じて真理を学び、そのどおりイエス様を信じる時、私たちの信仰も成長することになります。 それでこの真理を知って勉強するために神様は教会に牧師と教師そして使徒と預言者そして福音を伝える者(単純に伝道を言うのではありません)を立てて下さり聖徒たちに仕えるようにしてくださいました。 彼らの奉仕を通じて、私たちはイエス様に対する信仰と知識において一つになれます。

2)愛をもって真理を語る時に成長します。
聖書を通じて真理を学び教えながら神様を知っていくことは私たちの信仰を成長させることです。しかし、それには必ず愛がなければなりません。 イエス様とパリサイ 人たちの教えの違いは何でしたか。 パリサイ 人たちは、律法をそのまま実践することだけに関心があるだけでした。 周りの人たちの傷や痛みには関心がありませんでした。 しかしイエス様は一人一人に会って愛してくださったということです。 取税人たちや罪人たちがイエス様の前に出て変化した人生を送ることができたのは暖かいイエス様の愛のためでした。 同じように、私たちが教会の中で奉仕し、他の人に仕える時、愛する心がなければ些細なこと一つにも心を傷つけ喧嘩して紛争することになります。 それで、すべてのことにイエス様が私たちを愛するその愛を願ってお互いに仕え、教会のことに耐えていかなければなりません。

3)お互いに助け合い、奉仕しながら各自の役割を担う時に成長します。
私たち自身だけを見れば一人になったような人に見えます。 しかし、私たちは決して一人で暮らす存在ではありません。 キリストを信じる信仰でクリスチャンになったなら、当然私たちはキリストの肢体になって他の聖徒たちと共に信仰生活をするしかありません。 一人でいる時はよく見えなかった自身の短所と他の人たちの羨ましい点が見えるしかありません。 それでも私たちを教会に呼んで下さって一緒にするようにしたのは、自分の足りない部分が他の人々の奉仕と苦労を通じて満たされるようにするためです。
私は文章を書くのも好きだし、読むのも好きです。 また未来に向けたビジョンに関する話が好きす。 しかし、私には弱点があります。 それは細かいことや順番を守ることが苦手だということです。 特に週報を作成する時、誤字が多くミスが多いです。 しかし、 私の足りないところをありのまま受け取って手伝ってくださるキヨカさんと松尾長老さんがいらっしゃるから大きな負担なく作業ができます。
これはただ週報を作る単純なことに対してだけ該当することではありません。 日本の生活と言語において多くの不足を持っている私ですが、柏シャローム教会の聖徒たちは私を愛で抱いて協力してくださっています。それで私もこの教会の中で成長させて頂くと思います

Since 2023/ 6/2 Updated 2023/6/16