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2023年 7月2日
主日礼拝

説教
勝利する教会

16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
車 孝振 (チャ ヒョ ジン)牧師

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当日の説教


説教要旨


日本と韓国が一緒にワールドカップを開催したことがありました。2002年です。韓国人にとって2002年は忘れられない年です。世界で4位になり、また全国民がそれぞれの家や広場に集まって熱く応援していたからです。その時の選手たちは今でも韓国のテレビ番組のあちこちに出て色々な活動をしています。韓国人は皆その時の選手たちが好きです。その時、彼らが勝利という喜びを全国民に抱かせたからです。

勝つことが与える喜びはとても大きいことです。特にスポーツで勝利した選手に与えるその栄光とは、とても誇らしく感動的なことです。私たちはオリンピックで自分の国の選手たちが金メダルを取った瞬間、一緒に喜び感激します。

今日一緒に分かち合いたい話は、勝利の喜びと栄光に関するものです。教会が勝利の喜びと栄光を享受するということですが、私たちは気づかなかったけど、私たちは戦っていて結局勝利の喜びを享受するという話を今日一緒にしてみましょう。

1 戦う教会

聖書のあちこちでは、聖徒と教会を戦っている存在として教える部分がたくさんあります。 しかし、この戦いは私たちが考える戦いとは異なります。見えない霊的な戦いだからです。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人への手紙 6:12)

体で殴り合う戦いではないので、私たちが物理的な力で打つたり、相手を傷つけることはありません。この戦いの対象は悪霊たちだと言いました。すなわち、 サタンです。聖書でサタンについて言及した箇所はたくさんありますが、詳しくは説明していません。

「敵対者」あるいは「誘惑者」という意味を持つサタンは旧約では24回登場し、新約ではサタナス(Satanas)が34回、ディアボロスが36回登場します。サタナスはサタンと同じ意味で、ディアボロスは「告訴者」「讒訴者」という意味で使われています。バアルゼブプ、悪魔、ベリアルなどと共に、このような言葉はサタンを言うニックネームです。それだけでなく聖書に見れば嘘つき、迷いの霊など多くの名前がサタンを言う言葉として使われています。このように直接的な言及はしませんが、私たちを騙して誘惑し、神様に対抗する存在があることを明確に教えています。特に創世記3章に出てくる蛇をサタンと直接表現しませんが、聖書を読む誰もがサタンという存在であることが分かります。

サタンは私たちに絶えず嘘で私たちを騙し誘惑しています。ヨブ記では、ヨブの滅亡を望み、神様に讒訴します。 しかし、サタンは被造物です。神様が作った存在に過ぎません。 ですから、ヨブ記を読んでみると、地上をくまなく回る存在で説明されています。すなわち、神様のようにどこでもいらっしゃる方ではなく、被造物なので空間の制約がある存在です。

また、人間に直接的な影響を及ぼすことができず、絶えず嘘で心にささやきながら誘惑します。イエス様が荒野で断食して祈る時にも「自分を拝むならこの世を全てあげる」と言います。しかし、この世は神様のものです。神様のものをまるで私のものであるかのように嘘をして騙しています。

私たちはこう考えることもできます。「サタンを完全になくせばいいのじゃないか」と思うかもしれません。しかし、神様がサタンという存在を残した理由には、私たちが皆理解しにくい神様の御心があります。このようにサタンについて多くの情報を残さないことには、人間の堕落した状態に対する神様の意思もあります。聖書のあちこちにあるサタンに対する話を集めて小説のように書いてサタンをまるですごい存在であるかのように話そうとする人がいるので、注意するべきことです。
なぜなら、私たちはいつも、聖書が教えて下さることまで、話しなければならないからです。

それでサタンは霊的な存在であり非常に賢い被造物ですが被造物に対する限界を持っているため、神様の承?なしには人間に影響を与えることができず、サタンの欺瞞と計略に対して私たちは真理と真実に対応し戦って勝てる相手であることを記憶してほしいです。

特に教会を攻撃し、信仰の共同体を分裂させるためにだまして誘惑し、また刺激させています。

初代教会は内外でこのような霊的な戦いをしなければなりませんでした。 外から権力者の圧迫がありました。そして死を目のまえにおいてイエス様を捨てろという誘惑もありました。 また、その時代の多くの人々が教会に向かって変な宗教、悪い宗教だと誤解させたりもしました。 それにもかかわらず、初代教会の聖徒たちは聖書に対する使徒たちとその弟子たちの教えに従順に従い、死を前にしても信仰を守るために殉教しました。 数多くの誤解にもかかわらず、イエス様の愛の福音が伝えられて信じる人が多くなり、社会的に影響を与えるようになりました。

今は初代教会のような迫害が多くはなくなりました。 しかし、いまだにイスラム教を信じる国や北韓のような独裁者が治める国では、初代教会のような迫害と殉教が続いています。 しかし、むしろ多くの国が宣教師たちの献身と努力を通じてイエス様を信じるようになり、多くの教会が全世界的に建てられました。 そして迫害を受ける地域では依然として命がけの信仰生活が続いています。

また、初代教会は内部的に多くの問題がありました。 聖書を歪曲して教える異端が現れ、偽りの教師がでてきて教会を混乱させました。 また、葛藤と分裂で互いに戦って分かれさせ、性的な堕落と数多くの偶像崇拝の誘惑で信仰生活を堕落させました。それで 教会の指導者たちは異端を警戒し聖書を正しく教えようと努力し、その結果現れたのが神学と信条です。 私たちが礼拝の度に告白する使徒信条がそれです。 そして個人の敬虔と純潔な人生に対する教えで教会を牧会しようとしました。 このような努力は今の教会にも続いています。 このように教会はサタンの霊的な攻撃に対して持続的に戦ってきており、その戦いは今も続いています。

2.勝利する教会

このような教会の霊的な戦いには、私たちが明らかに覚えておくべきことがあります。

まず、この戦いはすでに勝った戦いだということです。サタンはすごい存在ですが、ただの被造物に過ぎず、神様の支配の下にいる存在だということです。また、私たちに直接的な害を与えることができる存在ではないので、恐れる必要はありません。しかし、サタンの霊的な計略とごまかしは無視できません。 (サタンの霊的な計略とごまかし)その結果で、人間は堕落の道を選択し、罪に対する刑罰を受けることになったからです。 それで人間はサタンのごまかしと計略に閉じ込められて生きるしかなくなりましたが、神様はこのすべてに勝つよう恵みを与えました。

イエス・キリストがこの戦いに勝利を与えました。 聖書は創世記からヨハネの黙示録まで、すべてイエス・キリストの名前を証しています。 そしてイエス様がこの地上に来られました。 その方が来られること自体がサタンのトごまかしが崩れる瞬間でした。そして十字架ですべての人間の罪に代わる刑罰を受ける瞬間が私たちの縛が解ける瞬間でした。そしてついに復活して死を勝ち抜くことで真の勝利を私たちに与えて下さいました。

サタンはごまかしと嘘で私たちを縛りましたが、イエス様は謙遜と真実を持って犠牲になることで私たちを救って下さいました。これが霊的な勝利の光栄であり、イエス様を信じる私たちにとって喜びになることです。

この戦いに対して勝利を私たちの手で終えるようにしました。 今日、私たちが読んだ聖書の箇所はイエス様がペトロにおっしゃった御言葉でした。 世の中の人々がイエス様自身を「誰だと言うのか」を弟子たちに尋ねると、弟子たちは「他の人達はイエス様を‘エレミヤだ‘とか‘予言者の一人だ‘と言いました」と答えました。 すると、あなたかた(弟子たち)は私を誰だと思うかという質問に、ペトロが「生ける神の子、キリストです。」と告白することになります。 イエス様はこの告白に喜びました。 この告白が真理であり、私たちが信じる事実だからです。 イエス様はペトロの名前のように岩のように心強い信仰の告白の上に教会を建て、よみの門(悪例、サタン)が打ち勝てないと宣言しました。

イエス様が再びいらっしゃるまで、主か勝利されたこの戦いの過程を教会に任されることになりました。そして、すべての霊的な戦いに対して勝利を宣言し、地上にある教会は栄光と喜びを享受します。

3. 勝利の喜びと栄光を享受する教会

でもおかしいですよね。 私たちは依然として弱く、誘惑に負けています。サタンの誘惑に勝つよりも負けることが多いです。しかし、 戦争の勝利と敗北は結果的なものです。 その最後結果が出るまで数多くの戦闘があります。 負けたり、勝ったりします。今、ウクライナ戦争のニュースを見れば理解しやすいでしょう。いつなるかはわかりませんが、ウクライナとロシアが戦争をやめる時が来るでしょう。 誰が勝つかは分かりませんが、今でも両国の間ではあちこちで戦闘が続いています。 ウクライナが勝つ時もあれば、ロシアが勝つ時もあります。世の中での国々の戦争は結果がわかりませんが、教会の霊的な戦争はすでにイエス様が勝利を与えた霊的な戦争です。 その結果がすでに決まった戦争です。ですから、私たち個人と教会の霊的な戦闘は今日は誘惑に勝って勝利するかもしれないし、明日は負けるかもしれません。また、サタンが私たちの弱さを持って私を悲惨に感じさせるかもしれません。しかし、もう一度勝利の十字架を頼って立ち上がり、私たちに向かってくる数多くの霊的な挑戦に立ち向かって戦うならば、私たちがイエス様の体である教会として勝利の喜びを毎日享受しながら生きることができるでしょう。

神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
(ヨハネの手紙第一5:4~5)


Since 2023/6/9 Updated 2023/7/1