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2023年 7月9日
主日礼拝

説教
勝利する教会

使徒の働き12:21~25

12:21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。
12:22 集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
12:23 すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。
12:24 神のことばはますます盛んになり、広まっていった。
12:25 エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。
車 孝振 (チャ ヒョ ジン)牧師

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後日Up予定
当日の説教


説教要旨


私たちが幼い頃読んでいた童話には、いつも良い人は福を受け、悪い人は罰を受けることで終わる童話が多かったです。また、大人になって正義のヒーローが悪人や宇宙人に対抗して戦う映画を見ながら英雄が勝利する場面に応援をするようになります。しかし、現実ではそのようなことがあまり起こらないので、私たちは映画で悪人に勝つ英雄が好きなのかもしれません。

実際、この世の中は私たちが望む通りに流れず、心が苦しい場合が多いです。悪い人たちがむしろ豊かで善良な人たちが困難に直面するのを見ると、神様は果たしていらっしゃるのかという気がすることがあります。

しかし、聖書は彼らの勝利と栄えが決して永遠ではなく、そのような繁栄した人生が真の幸せな人生ではないと教えています。力と権力とお金が支配する世の中で、聖徒である私たちの人生はどうなければならないのかについての話を一緒に聖書から学びたいとおもいます。

1. ヘロデ王の話

今日の聖書の箇所にはヘロデという王が出てきます。イエス様が生まれた時もヘロデが居り、今日の聖書の箇所にもヘロデが出てきます。しかし、聖書に出てきたヘロデはすべて同じヘロデではありません。ヘロデという家系の人々が代々イスラエルの王として治めてきたため、名前は同じですが、みんな違う人たちです。

聖書には4人のヘロデ王が出てきます。

イエス様誕生時にイスラエルを治め、東方の博士たちがきて、そのまま行ってしまうと、その時を基準に2歳以下の幼児を皆殺した王がヘロデ大王でした。

バプテスマのヨハネの首を切った王がヘロデ・アンティパスです。

そして今日私たちが読んだ聖書の箇所に出てきたのがヘロデ・アグリッパ1世であり(ヘロデ大王の孫)、

4番目は使徒パウロを尋問したヘロデ・アグリッパ2世です。

ヘロデの家はユダヤ人ではなくエドム人でしたが、ローマによってユダヤ人の王に任命されました。 ヘロデ大王の父がユダヤ地方の総督に任命されて基礎を固め、ヘロデ大王の時にローマの政治的状況をうまく利用してついに王になったのです。王になった後、ヘロデはローマ皇帝カイザル(ジュリアス・シーザー)の歓心を買うために都市ガイサリャを建てました。ガイザリヤは「カイザルに捧げる都市」という意味です。 また、彼はユダヤ人の歓心も買わなければなりませんでした。 それで自分はイスラエルの神様を信じなくても、ユダヤ人のために聖殿を建ててくれます。これが主が石の上に石一つも残らないと予言したヘロデの聖殿です。彼は人間的な知恵と能力で王になりましたが、多くの人の顔色を伺わなければならず、そうするうちに疑いも多くなりました。結局、政略的に結婚した(ユダヤ人大祭司長の娘である)自分の妻まで殺すことになります。このような権謀術数と血と賄賂などで建てられたヘロデ王の家は長続きせず、4代で終わります。

その中で今日、読んだ聖書箇所に出てきたヘロデ・アグリッパ1世もローマの政治的状況をよく利用してイスラエルの王になり政治的手腕が良い策略家でした。そのため、彼は指導力と政治手腕で当時のイスラエル統治を行いました。そうするうちにヘロデはユダヤ人から支持を得るようと権力の邪魔になるキリスト教を迫害しました。エルサレム教会の指導者である使徒ヤコブがヘロデ・アグリッパ1世によって刃物で殺される殉教をしました。そして、尊敬されているペテロを牢に閉じ込め、彼を処刑しようとしました。

2. 世の中での教会と聖徒

しかし、神様はペテロを牢から出してくださいました。それを見れば神様を恐れ、自分を振り返らなければならないが、ヘロデは立ちこまることなくさらに傲慢になっていきました。 彼は神様を認めず、むしろ自分の栄光を示しました。彼は派手な王服をまとって王座に着き、群衆に演説しました。世俗的な権力の前に簡単にひざまずいた人々は、ヘロデにお世辞を言いました。 「王の声は神の声だ。 人の声ではない」

世の中は権力に依存し、権力にお世辞を言います。ヘロデだけでなく、これまでのすべての歴史は、これらの同様の内容を記録してきました。力のある者の側で弱者を傷つけながら自分の利益を享受してきた人々は、その時も今も依然として存在します。そして、これを処世と言って欺瞞しています。

しかし、教会はこの世の権力をちりのように考えています。そして神様だけを頼りにします。それが教会です。それで、神様に栄光を帰さないヘロデは虫に食われて死ぬことになりますが、迫害を受けた教会は盛んになったと証しています。

歴史の中で教会は大きな迫害を受けましたが、消えてしまわずに今も存在し続けています。ある偉大な人物が教会を続けたわけではありません。特にヘロデの時代の教会の構成員を見ると、学ぶことができなかった平凡な人々でした。 社会的圧力に対して対抗する力も軍隊もない人々です。 圧迫され、迫害され弱い存在でした。そこでローマ帝国はキリスト教の聖徒を円形競技場に投げつけ、猛獣や剣闘士の刃に死なせました。そのような恐れと恐怖の中でも教会は消えず、恐れに勝って喜んで殉教するクリスチャンたちは増えていきました。

それでは教会が極めて正しく、問題がなくてずっと続いたのでしょうか。それはまた違います。 教会は常に内部的な不正腐敗が存在してきました。教会も金銭の貪欲に陥り、権力におべっかを使い、世の中と同じような間違った道を歩いたりもしました。一緒に集まった人々と葛藤し争いながら性的な堕落に陥ったりもしました。それで教会を批判したり、また教会を離れていく人も出てきました。 歴史的に教会は常に不安定で、危機に直面して消えるかもしれないと思われました。 滅びなければならないこともありました。しかし、教会はむしろ復興の歴史を受け継いできました。 神様が生きていて教会を保護し導いてくださること以外には、全く説明がつかないのです。それで教会の歴史は神様がいらっしゃるという証拠です。

3. すべての歴史の主

神様は歴史を司ります。神様の歴史は二つの姿で見ることができます。

1) 一つ目は許容することです。神様はステパノの殉教を許されました。 そして12章1節ヘロデが「教会を苦しめるようとして手をのばした」と言いました。それで 使徒ヤコブ が殉教しました。 すべてを理解できるではありませんが、神様は時々私たちが苦難に陥ることを許すことがあります。イスラエルの民がバビロンによって捕虜にされることもありました。初代教会のように迫害を受ける状況が来ることもあります。そして、そのようなことは今も続いています。また、ウクライナのように国際的に起きたり、コロナのように全世界的に起きたりします。そして一人一人にも大小の苦難が起きることを神様は許容される時があります。

2)二番目の姿は苦難を許容したことを越えて神様の偉大な目的が依然として遂行されているということです。 神様はヘロデを殺し、ペテロを守ってくださいました。 さらに、もうなくなると思われた危機の教会はむしろ今も生き残り、あちこちで復興し、盛り上がっています。 そして多くの宣教師たちと海外に移住するクリスチャン信徒たちを通じて世界各地に福音がのべつたえられています。まだすべてを知ることはできませんが、ウクライナの戦争も新型コロナウイルス感染症の苦しみも、そして個人の困難と痛みも神様が許容したことを越えて深く意味のある神様の目的が遂行されていることを私たちは教会の歴史と今日、読んだ聖書の御言葉を通じて理解することができます。

3)そして、これはイエス様を見ればより明確に分かります。 イエス様はこの地上にいらっしゃいました。 そして十字架で苦しみを受けられました。このすべての苦難にイエスは従われました。これは十字架の苦難で終わらず、罪人たちを赦し、永遠の命を私たちに与える偉大な御業になりました。イエス様は十字架を許されました。 そして、その十字架の苦難を越えて深く深い神様の御業が私たちの中で起こりました。

4.  真の勝利

世界はお金を愛し、システムを誇り、力を誇ります。 考えてみれば大帝国ローマがなくなると誰が思ったでしょうか。ヘロデの権力が突然の死でなくなることをどう推測しましたか。彼らは力があり、権力があり、お金があり、軍隊があって「私たちは絶対に滅びない」と信じたはずです。しかし詩篇はこのように言います。

主は悪しきものを笑われる。彼の日がくるのをご覧になるから(詩編37:13)

私たちは見えるものだけで判断してはいけません。世の中の状況だけを見て判断してもいけません。教会が神様の手にあることを知らなければなりません。いつも「だめだ」という否定的な言葉に私たちの心が振り回されてはいけません。世の中がどうであれ、どんな状況が目に見えても教会は神様の教会です。特に日本の教会が数字も小さくて力がないように見えても私たちの神様が大きくて強い方であることを忘れてはいけません。私たちの人生も同じです。私の人生が小さくて意味のないように見えるかもしれません。私は今何をしているのかと後悔し、落胆することがあります。しかし、私よりもっと大きい神様が私のために働いていることは私の状況と自分が理解していることより大きいからです。これを覚えておいて、今日くださった一日に最善を尽くしたいと思います。また教会にくださった使命に最善を尽くしましょう。それがまさに真の教会の勝利であり、私たちが享受する栄光になるでしょう。

Since 2023/7/3 Updated 2023/7/9