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2023年 7月16日
主日礼拝

説教
カインの礼拝、アベルの礼拝

創世記 4:1~15

1 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
9 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
10 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
11 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
12 あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
13 カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。
14 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
15 主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。



1さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。 2彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。 3時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。 4アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 5カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 6主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。 7もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
8カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
9主はカインに言われた。
「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
カインは答えた。
「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
10主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。 11今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。 12土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
13カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。 14今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
15主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

車 孝振 (チャ ヒョ ジン)牧師

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当日の説教


説教要旨


イエス様を信じる私たちは毎週、礼拝を差ささげています。 神様の名前を賛美し、一緒に祈り、聖書の教えを聞いて献金をささげ、一週間の祝福を祈りながら礼拝を終えます。 礼拝はさまざまな形式でささげています。 国ごとに地域ごとに、そして教壇と教会の構成員、そして牧師の性向によって内容と形式が異なります。 内容と形式がどうであれ、すべての礼拝は神様に栄光を捧げ賛美し、私たちの人生の導くことを願う、聖書の教えを聞くことを願うのは皆同じだと言えます。 今日、私たちが読んだ創世記のカインとアベルの話の中に礼拝に対する話が出てきます。 この2人がささげた礼拝の姿を通じて、神様が望む礼拝がどんなものなのかを知ることができます。 聖書のあちこちには破片のように散らばっている数多くの礼拝の姿があります。 また、直接礼拝をどのようにしなければならないかを教えもあります。 そのような教えに比べて創世記のカインとアベルの礼拝は礼拝に対するすべての教えを話してくれるわけではありませんが、どんな礼拝をささげなければならないのかに対する大切な教えを与えています。 神様に捧げものを捧げる二人の姿が初めての礼拝で描かれているからです。 それで私たちの礼拝だけでなく私たちに与えられる神様の恵みも共に考える時間になればと思います。

1.カインとアベル

今日私たちが読んだ創世記の内容は、カインとアベルが礼拝を捧げる内容です。 アダムとエバがエデンの園で神様の命令に反したために追い出された後、カインとアベルを産むことになりました。 彼らは成長し、それぞれの仕事をするようになりました。 カインは農業を営む者になり、そしてアベルは羊を飼う者になりました。 彼らはそれぞれのやり方で神様に捧げものを捧げることになります。 カインは大地の実りで、アベルは自分の羊の初子の中から、肥えたもので神様にささげます。 しかし、神様はアベルの捧げものは受けましたが、カインの捧げもの物は受けられませんでした。 カインは激しく怒り、顔を伏せました。 その姿を見た神様は詳しくカインに礼物を受け取らなかった理由を話して下さいました。

6.主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。7.もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。

神様は彼の行動が正しくないと言いました。 そしてカインはアベルに会って話している途中、アベルを殺すことになります。 神様は再びカインを訪ねてきて、以前のアダムを訪ねてきて尋ねたように尋ねます。 「あなたの弟、アベルはどこにいるのか」

神様の問いに、カインは神様の前で嘘をつきます。 神様は当然すべてを知らないでしょうか。 神様はアベルの無念な死に対してカインを罰し、地上をさまよい歩かせます。するとカインは自分に会う人たちが自分を殺すかもしれないと神様に訴えます。 神様は彼のために彼の命を保護するために彼にしるしを与えます。 そして命を守ってくださると約束します。 そして彼の子孫が生まれますが、罪を犯しながら暴力を振るう家門の歴史が記録されています。(23~24) 神様はアベルに代わる子、セツをアダムとエバの家庭に送って下さいました。

2.礼拝を捧げる態度

まず、話したいことは礼拝についてです。 礼拝はカインとアベルのように神様に捧げることです。 カインとアベルは、自分が生きる人生の仕事場で得た結果を神様にささげました。 それは単なるささげものをささげること以上、人生の結実を捧げるものでした。 自分の人生を導いてくださった神様に感謝をすることです。だから礼拝は私たちの人生についての神様に感謝することです。

しかし、神様はすべての礼拝を受けるわけではありません。 神様はアベルの礼拝だけを受けました。神様がアベルの捧げものを受け、カインの捧げものを受けなかった理由はカインにおっしゃった神様の御言葉から分かります。

6.主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。7.もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」

神様が彼の礼拝を受けてないわけことを直接的に教えてくれませんでしたが、ささげものを受け取らなかったことをとても悔しがることに対して、神様が指摘した御言葉はなぜ神様が彼の礼拝を受けなかったのかを推察させます。 彼の行動が善良ではなかったという点を神様は指摘しました。

3.カインの正しくない生き方

1) 彼は激しく怒ります。

神様が捧げ物を受け取らなければ、なぜそうされるのか、もし自分に問題があるのかを振り返り反省しなければならないにもかかわらず、彼の態度は怒りをあらわにして自身の無念と神様に対する不当さに対してだけ怒ったということです。 そのため、彼の心の状態や生き方がどれほど間違っているかが十分にわかります。

2)そして彼は弟を殺人しました。

神様に対する不満はアベルに対する嫉妬につながり、アベルを殺すことまでする行動につながりました。 テレビのニュースを見ると、偶発的に犯す犯罪をよく見かけます。 しかし、多くの場合、彼らの心の中にはすでに憎んで殺したい気持ちがそのところに存在していることを否定することはできません。 聖書はこのような心に対して明確な教えを私たちにくださいました。

兄弟を憎む者はみな、人殺しです。あなたがたが知っているように、だれでも人を殺す者に、永遠のいのちがとどまることはありません。(ヨハネの手紙 第一 3:15)

一瞬間、怒って殺したので殺す意図がないという話は間違っています。 彼の心の中にはすでに殺そうとする意思があり、それが行動に現れただけです。

3)神様の御前で嘘をついて言い訳しました。

神様がアベルの死についてカインに尋ねると、カインは「私が弟を守る者ですか」とし、知らないと神様に嘘をつきます。 神様が知らないはずがありませんか。 それは自分の過ちの前に自ら正直ではなく、神様の前でさえ偽りで弁解しようとする愚かな行動につながります。

4)彼は城を築きました。

神様の罰として、彼は彷徨う人生を送らなければなりませんでした。 しかし、他の人が自分を殺すのではないかと恐れて城を築くことに一生を費やします。 神様が票を与えて彼を保護するにもかかわらず、彼は最後まで自分の人生を神様に頼ることができず、不安で人生を生きなければなりませんでした。

5)彼の不安な人生は神様なしで生きようとする現代人の人生の姿とも同じです。

カインの人生のどこでも神様を尊重し認める姿はありません。 登場してから最後まで自分自身の悪い感情に支配されて生きてきました。 そのような人生の態度でささげた礼拝が神様に真心であるはずがありません。 神様は彼の捧げ物について正しいとは言われませんでした。 神様は彼の行動と人生に対する態度について問題を指摘しました。 そして彼に罪を治めて生きるように言われました。(6-7)

神様が望む礼拝は何でしょうか。アベルのように心から礼拝を行い、ささげ物をささげることも望んでいますが、アベルのように罪に支配されず、罪に勝ちたい気持ちで礼拝することです。 弱さで罪に誘惑されることもあるでしょうが、そのためにさらに神様の助けを願って生きようとする態度を神様は望んでいるのです。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、 [マタイの福音書 5:22,23]

まことに 私が供えてもあなたはいけにえを喜ばれず、全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。 [詩篇 51:16,17]


4.神の恵み

神様は罪人であるカインに怒りながら腹いせする神様ではありません。 過ちに対して冷静な方でもありません。 ただ神様の固有の恵みはカインの罪を罰しましたが、彼に別の恵みを与え下さることです。 彼に与えた恵みは神様が今もすべての人間に与える恵みです。

1)まず、神様は最後まで恵みを与えてくださいました。

彼が怒りをあらわにして嫉妬心で顔を伏せた時でも、神様は彼を訪ねてきて何が間違っているのか親切に教えてくださいました。 まるで10代の息子の部屋に入って息子に父親の真心を知らせ、心を慰めようとしているかのようにカインに言われました。 また、アベルを殺した後も彼を訪ねます。 以前、アダムが罪を犯す時に彼を訪ねて行ったように、カインにも訪ねてきて先に声をかけて問題を解決していこうとしました。 私たちが神様を訪ねたのではなく、神様が先に私たちを探して訪ねてくださるのです。

2) 悪しき者にも神様は恵みを施してくださいます。

神様は悪を犯した人にも神様の恵みを与える方です。 カインのように神様を拒否し、自分だけのために生きる人にも神様は恵みを与える方です。 それでイエス・キリストを信じる者も信じない者も同じように神様から受ける恵みがあります。 それを神学者たちは一般恩寵と言います。 季節ごとに降らせてくださる雨は皆に同じように与えられる恵みです。 自然の美しさも神様の恵みです。 また、この地上にすべての社会的制度や法と良心はお互いを無秩序にしていけないように人間の知恵を通じて与えられた神様の恵みです。

それでその中で人間はいつも神様の恵みを発見し、神様に近つくように神様は恵みを与えましたが、人間は拒否しました。

19. 神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。20. 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。[ローマ人への手紙 1:19,20]

このように神様の恵みはカインのようなすべての罪人たちにも同じように与えられました。

3)新しい契約で私たちに救いの道をくださいました。

神様はカインのために恵みを与えてくださいましたが、カインは自分だけのために選択して平安のない罪人の道を歩きました。 そして、彼の子孫はますます悪い生活を送っていくようになりました。 それで、神様はアベルに代わる子供をアダムとエバに与えました。 それはセツです。

いつも約束が人間によって破られる時、神様は常に他の約束を準備してくださいました。 善悪の知識の木の実を食べない契約が破られる時、神様は皮の衣と女の子孫を約束しました。 カインがアベルを殺し、自分は間違った道を生きて神様から離れた時にも神様はセツをくださいました。 そして彼の息子エノスの時になって神様の名前を呼ぶようになります。 それはエノスの時にアベルがささげたささげ物のように礼拝が回復し、神様を正しく信じ始めたということです。 セツの子孫を通じて神様はまた別の恵みの約束を守っていきました。 後でお話ししますが、神様はすべての人類を滅ぼし、アダムを通じて虹に再び約束を立てていきました。 そしてモーゼを通じて律法という約束をくださいました。 この契約に対する契約は、創世記3章15節に約束された通りイエス様を送ってくださることで完全に実現されます。

仕上げ

今日の創世記の物語であるカインとアベルの礼拝についての物語をまとめます。
礼拝は方法やささげ物の種類ではなく、私たちの人生に対する態度と心で捧げることです。
神様は礼拝を間違ってささげたカインの誤った人生にも恵みを与えました。
神様は人間が台無しにしてしまったすべての神様との約束に対していつも信実に守って行き、結局、新しい約束である、イエス様を通じて、私たちを救い永遠の命を与えてくださいました。

私たちがささげている礼拝が、いつもアベルの礼拝のように、私たちの人生を神様として豊かにする毎週の礼拝になることを切に願っています。

信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。 [へブル人への手紙 11:4]

Since 2023/7/13 Updated 2023/7/16