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2023年 7月30日
主日礼拝

説教
主イエスにとどまる

ヨハネ15:7-11

15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
15:10 わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
15:11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。


小町 誠一 牧師
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当日の説教


説教要旨


■みことばによって
7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。

イエス様はこのとき、「わたしがあなたがたにとどまり」に加えて、さらに「わたしのことばがあなたがたにとどまっている」と言われました。「イエス様の話されたことばにとどまり続けること、イエス様のみことばに、私たちの生活を結び付けること」、それが「ぶどうの木に枝としてとどまり、実を結ぶ」ために必要なことです。
主のみことばが、いつも信仰と生活の導きの光となり、みことばによって私たちの生活が支えられていく生活を歩むのです。そのようにみことばによって歩む弟子たちに、イエス様は祈りによって実を結ぶことを教えてくださいました。

■祈りによって
それとても、使徒たちが「何でも欲しいものを求めなさい」と言われた時、それは文字通りの「何でも」でないことは理解したでしょう。願ってもかなえられない祈りがあることを知っていたからです。パウロも「肉体のとげ」を取り去ってくださいと三度も願ったとⅡコリント12章にあります。その祈りは聞き入れられなかったのでした。
「そうすれば、それはかなえられます」は、神様の栄光のためになること、神のみこころに添った祈りです。信仰生活の中で、そのような祈りに導かれた時、それが祈りを通しての信仰の実を結んだことになるのはないでしょうか。祈りの答えが与えられた時に、自分に注がれた多くの祝福を覚えることができ、神様を身近に感じることができるのです。
実を結ぶとは、祈ることの喜び。祈りが神様に聞かれ、かなえられることを知ることです。それが豊かな実を結ぶことの一つなのです。それは16節の後半でも、同じように言われます。
「あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」
私たちは、イエス様が言われた、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっている」、そこから出てくる祈りの豊かな実を結びたいと思うのです。

8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。

弟子たちがイエス様にとどまり、多くの実を結ぶようにイエス様が望んでおられるのは、それが天の父なる神様が栄光を受けられるからでした。弟子たちが結ぶ信仰の実は、彼らの信仰を飾るものであり、それを見たこの世の人たちが弟子たちの信じる神様をほめたたえるのです。
それは、「私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」(へブル6:1)と言われている歩みをとおして結ばれていく実です。

■キリストの愛にとどまることによって
9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。

これは、イエス様の愛の深さ、広さ、大きさを示したみことばです。それは人間がとうてい把握できない大きな愛です。御父の御子に対する愛がどのようなものか、実際には思い知ることができません。
そうではありますが、同じ神である三位一体の父と子との愛の関係と、イエス様を信じる者たちへのキリストの愛は同じであるというのです。そのイエス様の愛の中に「とどまりなさい」と言われるのです。
イエス様にとどまり、実を結ぶとは、1)みことばにとどまることによって実を結ぶのです。2)祈りによって実を結ぶことができるのです。そして3つめは、イエス様が弟子たちを愛する愛にゆだねることです。その愛の中に憩い続けることによって実を結ぶことができるのです。
私たちを愛し、十字架にかかってくださったイエス様の愛は、最も私たちに平安をもたらし、苦しみ、恐れを取り除き、最も私たちの魂が自由にされるものです。その「キリストの愛にとどまる」ように語ってくださったのです。そのとき、私たちは豊かな実を結ぶことができるのではないでしょうか。

■イエス様の戒めを守ることによって
10 わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。

弟子たちの日々の歩みは実を結ぶ生活です。4つ目として、キリストの教え、キリストの戒めを守る歩みによって、私たちはぶどうの木であるイエス様にとどまっていることを覚えるのです。
「わたしの戒め」と言われたイエス様の戒めは、堅苦しい律法ではありません。イエスに従って歩むならば、イエス様の戒めは決して自分の歩み、自由な生き方を損なうことなく、これこそキリストに贖われた者の最も自由な喜びの生き方であることがわかってくるのです、
そのように歩むことが、父なる神の戒めをイエス様が完全に守り、父の愛の中にとどまっていることと同じですと言われるのです。
そう言われても、私たちは全くそのとおりですと言うことができるでしょうが、そのことの万分の一もできない私たちには、イエス様の言われたことばは遠くかなたにあるもののように感じてしまいます。
イエス様はそのこともご存じであったでしょう。このお話を聞いている最も信頼するペテロたち使徒たちも危なっかしかったのです。しかし、イエス様は弟子たちに、イエス様の教えに従うように、目指すようにようにと、この高い模範を差し出されたのでした。
私たちは、「あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです」と言われた歩みを通して豊かな実が結べるのです。

■喜びに満ちあふれるため
11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。

イエス様が、ここまで語られたことは、「弟子たち一人ひとりが喜びに満ちあふれる」ためでした。それは、キリストが私の罪のために死んでくださったというキリストの愛を覚える時にわき上がって来る喜びです。喜びの生涯を送る。これも豊かな実を結ぶでしょう。

実とは何か。実を結ぶことは何を通して結ばれるのかを考えてきました。日々の歩みによって、キリストにある実を結ぶのです。
それは、まずみことばのうちを歩むことによって、祈りの生活を続けることによってでした。それらは、いわばみことば三昧、祈り三昧の生活とでも言えましょう。両方は無理な人は、どちらか一方でもすばらしい歩みです。それぞれの賜物、信仰生活があるのす。
みことばによって、祈りによって、そして、イエス様の愛にとどまり続け、イエス様の愛をいつも感じて歩むことによって豊かな実を結ぶ生涯を送るのです。さらに、イエス様の戒めを守ることによって、私たちは豊かな実を結ぶことができるのです。
その人の信仰の生涯を全うすることによって結ばれる実、その最高のものは、栄光の冠をいただいて天の御国に迎え入れられることです。それがイエス様につながれた枝である私たちが結ぶ、最も大きな、豊かな実なのです。



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