○○
2023年 9月10日
主日礼拝

説教
その名はインマヌエルと呼ばれる

マタイの福音書 1:21~23

1:21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
車 孝振 牧師

♪
当日の説教


説教要旨

皆さんの名前にはどんな意味がありますか。私の名前は車孝振(チャヒョジン)です。は家族の名前で、親を敬い、よく仕える人になれと名付けられました。は世の中に名前をく知らせろという意味があります。でも、名前の通りに生きているかどうかはわかりません。

このように名前には何か意味がめられていることもあります。それで親がつけてくれた名前には子供の人生に向けた親の願いがめられています。私たちの息子ジュンヒ君は神の言葉を基準に生きて幸せでしく暮らすことを願う持ちで、次女ラウンちゃんには神の恵みのが結ばれる人生を生きることを願う持ちがめられています。皆さんの名前はどんな意味がめられていますか。

聖書では、このような名前にめられた意味を非常に重要視しています。それで聖書の中の人物も名前に意味を持っています。アブラハムは「列の父」、ノアは「安息と平安の人」、サミュエルは「神さまに求める」と「神の名前」という意味で、モセは「水の中から引き出した」という意味です。このように聖書の人物の名前には、神への信仰の願いがめられている場合が多くあります。 それではイエスの名前にはどんな意味がめられているのでしょうか。

今日の聖書箇所ではイエスの名前の意味が教えられています。イエスの名前は人がつけたものではありません。が直接付けた名前です。それで神の御心がめられている名前なので、イエスをこの地に行かせる時、どんな持ちで送られたのかを知ることになります。

イエスの名前はまたいろいろあります。今日はその名前の意味を考えながらイエスするみを分かち合いたいと思います。

1. イエス

旧約にすでにイエスと呼ばれた人がいました。モーセの後を継いだ後継者、ヨシュアの名前がイエスです。ヨシュアの本名はホセアですが、その名前の意味は救いという意味です。モーセによってホセアはヨシュアと呼ばれるようになります。その意味は主が救うという意味です。実際、ヨシュアはカナンに入ってイスラエル民族を率いて戦争をすることになります。人々は彼の名前を通じて神様が自分たちをどのように救うかを見るようになりました。また、この名前はイスラエルでよく呼ばれる名前になります。イエス様時代のイスラエルでは、ただありふれた名前になったのです。 預言者イザヤはイエス様について

「彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」(イサヤ53:2と予言しました。

イエス様はイスラエルで最も平凡な男性の姿でいらっしゃって、またそのため名前も特別である必要はありませんでした。平凡な名前を付けさせることで、誰も注目できないようにしました。イエスの名前をつけるのにも人間の慣習文化思考に合わせてあなたが自ら低くなる肉体を取る原理が作用しました。平凡な名前ですが、イエス様はその名前の意味を自分の一生に完全に実現しました。特にこの地に送られた目的を全て現している名前になりました。そして、その名前を付けてくださった神様の目的がイエス様の生涯を通じて完全に成し遂げられました。それでイエス様の名前の中には、まさに私たちを救おうとする神様の御心が込められています。

そのため、私たちはイエス様の名前を信じてイエス様を私の主として受け入れれば、イエス様の名前の意味のように救われます。

2. インマヌエル

また、神が私たちを罪から救おうとする望むものが2番目の名前の中に入っています。それは私たちと共にいたい神の私たちへの御心です。者たちも神を信じています。私たちのように聖書の神を信じる科者もいますが、そうでない科者もいます。彼らが信じる神は、この世を最も完璧な物理法則で秩序を作り、その秩序がこの世界を動かすようにするため、この世界に神は干しない神です。まるで完璧な機械を動くシステムを作った神です。しかし、私たちが信じる神はそうではありません。絶えず私たちの人生に干して導いていきたい神です。私たちの人生を助けようとし、守ろうとしています。それでも、人間は自分の人生を自力的に生きることができると信じています。神や他人に助けられる人生は弱くてつまらない存在だと思っています。しかし、よく考えて見れば、私たちは自分自身をよく知るでしょう。どれほど恐れが多く未する不安があり、他人にする暖かい心を持つより疑いと嫉妬が多く、弱いガラスの器のような感情を持った人であることをよく知っています。子供たちに親の世話と愛が必要なように、私たちには神の世話と愛が必要です。

偉大で大な神に比べると、私たちはほこりのような存在です。そのほこりのような私たちを創られ、愛し、共にいたい神の御心がその息子をこの世に送られる時、その名前の中にめられています。

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。      「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」   それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。 [マタの福音書 1:22,23]

イエス様のもう一つの名前であるインマヌエルは、まさにその共にいる神様の御心です。私たちが愚かで未練があり、神様の保護を煩わしく思って離れようとする時も、神様はいつも先に訪ねてきて共にいて下されました。アダムとエバが神様の約束を破って自ら罪の席に行く時も、神様はアダムを訪ねてきました。旧約のイスラエルが神様を捨てて偶像を拝む時も、神様は預言者を送って神様自身の御心を伝えてくださいました。そしてこの地に直接肉体でいらっしゃって共にいてくださいました。そして今も私たちと共におられます。

今日も苦労して努力し、怪我をし、傷ついた心を持って日々苦労して生きていく私たちに、神様は共にいてくださるという御言葉で励ましてくださいます。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。[イザヤ書 41:10]

3. キリスト

最後に一緒に見る名前はキリストです。キリストの名前の意味は油を注がれだ者です。油を注ぐことは職責に関係しています。旧約では、神様の仕事をする人々に油を注いで、これが神様の仕事であることを示しました。それでイエス様のもう一つの名前キリストにはイエス様がこの地に来られてなさることと関連があります。

それで油を注ぐ職責は

1)

まずは王様です。イスラエルの最初の王はサウルです。サムエルがイスラエルの民の要求でサウルを王に立てる時、彼に油を注ぎました。そしてダビデを王に立てる時も彼に油を注ぎました。それで 王が立てられる時にはいつも彼らに油を注ようになります。王は私たちが知っている通りに治め支配する人です。私たちがイエス様をキリストと呼ぶ時、その方の王としての存在を信じて従っているのです。私を治めて支配する存在が私ではなく、キリストであるイエス様になることを認めて生きるのです。私の人生の主導権も人生のすべての瞬間も全てその方の手に任せる信仰の対象がまさにキリストであるイエス様です。

2) 預言者

二番目の職責は預言者です。旧約で預言者エリヤがエリシャを自分の次の預言者として立てる時、油を注いで預言者として仕事を始めさせます。預言者の仕事は、神様の御心をイスラエルの民に知らせることです。イエス様はこの地にいらしって天国の福音を教えられ、誤った律法主義に染まったイスラエルの人たちに本当の律法の意味を教えて下さいました。

人々の数多くの質問にも真の神様の御心を教えて下さいました。イエス様の教えは福音書と使徒たちの手紙の中にそのまま込められて新約聖書になり教会の教えになりました。

3) 祭司

旧約では成人になるレビ部族の青年が祭司として仕事を始める時に油を注いで祭司の仕事が始まることを示しました。祭司の役割は、この地の罪人となった人間の罪を代わりに赦しを願って神様にいけにえをささげる神様と人の間の仲介者の役割です。イエス様がこの地にいらしゃってなさったことが、まさに罪人である私たちのために代わりに赦しを願うことでした。

旧約聖書には、神様にいけにえをささげるとき、ささげ物の血を流してこそ罪が赦されましたが、イエス様がいらしゃって捧げたいけにえはまさにイエス様ご自身でした。実際、このすべてのいけにえが流した血は、まさにイエス様の血を象徴するものでした。

旧約のいけにえはいつかいらっしゃって十字架について血を流して私たちの罪を清めるイエス様のこの事件のための予備的な象徴と同じものでした。旧約の時代には毎年いけにえを捧げることを繰り返さなければなりませんでしたが、イエス様がいらっしゃってこれ以上いけにえをささげることはなくなりました。イエス様といういけにえは、その一度の犠牲ですべての罪をきれいにする能力があるからでした。それで今、私たちはイエス様の名前で罪を告白し、赦され、イエス様の名前で神様に直接礼拝をささげることができるようになりました。

旧約の預言者マラキの記録を最後に、イスラエルにはこれ以後預言者のメッセージも予言も現れませんでした。そして400年間、この沈黙の時間が過ぎて胃イスラエル人はキリストという名前を待っていました。王として預言者として祭司として、イスラエルを政治的に信仰的に宗教的に回復させるのを待ったのです。そして、そのキリストをメシアと呼びました。そのメシアを待つ400年間、神様はローマを通じて道を整え、ギリシャ語で言語を統一させ、人々を民族だけに閉じこもることなく広がったのです。このすべての準備ができていく時、最も静かで神秘的な方法でキリストが生まれました。そして神様が彼の名前を直接つけてくださって、この地に送ってくださった意味を名前の中に表して下さいました。

そのキリストがイエス様です。あまりにも静かで平凡で人々は信じませんでしたが、イエス様ご自身の名前に込められた神様の御心をそのまま生きていかれ、人生の中に全て現れました。 今やその名前を呼んで信じる人にその名前の通り罪から救い、共にいてくださるキリストになりました。私たちはすでにその名前の意味の通りに救われましたが、もう一度その恵みを考えながら生きていく一週間になればと思います

もしまだイエス様を信じる信仰を告白しない方がいらしゃったら、その方の名前の恵みが人生に現れることを切に祈ります。


Since 2023/9/4
 Updated 2023/9/9