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2023年 9月24日
主日礼拝

説教
ペテロの第一回目の論述(伝道)

使徒の働き 2:14~36

2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。
2:26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
2:28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』
2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
2:30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。
2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
2:35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」


ファン・グオホア師

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当日の説教


説教要旨


 弟子達が聖霊に満たされて他の国のことばで話し出したとき、ある人は驚き、ある人は疑い、あきれて、でたらめを言っているのだと言った。この人達は神が言われたことが実現するなどとは最初から信じていなかったので、これらの出来事が真実、確実だとは認めなかった。そこでペテロは彼らにこう言った。「みなさんよくおわかりだと思いますが、今は朝ですからお酒を飲んでいるのでも酔っているのでもありません。これらの出来事は人間のできることではなく、神の御業です。神のご計画の実現なのです。聖書にはこう書いてあります。終わりの日に、神の霊がすべての人に注がれ、息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。そして、しもべやはしためにも神の霊が注がれ、彼らも預言し、これから起こることについて語る。神はこれらのすべての御業を行い、この世界の人々にご自身の存在を明らかにされる。終わりの日には審判があり、イエス様が再び来られる前に、主を信じ受け入れ、主の名を呼ぶ者はみな救われるのです。」

 イエス様が十字架にかかられる前に行われた全ての奇跡は、主イエスが神の子であることを証明している。主イエスは真の神であり、父なる神の御心に従いご自身を不法な者、無知な者に任せ、十字架にかかられた。しかし私たちの主イエスは死に制限されたり束縛されることなどあり得ず、死から復活された。イスラエルの王ダビデも、救い主についてその復活と死に勝利することを預言している。私たちは誰一人として自分の命を死から救うことはできない。主イエスの十字架で流された尊い血なくしては、誰も死から逃れることはできない。罪の結果は死であり、私たちはすべて罪の中に生きている。しかし私たちの罪のために十字架にかかってくださった主にあって、私たちは生きることができる。これはどれほど豊かな恵みだろうか。

 しかし聖書を見ると、使徒達が聖霊に満たされたて、他の国の言葉で話したとき、ある人々は彼らは酒に酔ってでたらめを言っているのだと言った。無知で心が頑なだということはどれほど恐ろしいことだろう。それでも使徒達は聖霊の力に依り頼み大胆に論じ、イエスが神の子であり全人類の救い主であることを証明した。イエスこそが道であり真理であり命なのだ。(ヨハネ146

 ペテロはイエスに3年間従ったが、これが人生で初めての論述であり、彼は自分の先生であるイエスが真に神であることを証明した。以前のペテロは信仰が試された時、自分がイエスに従う者だということ、イエスと関係があるということを認めることができなかった。しかし今は以前とは違い、人々に向かって主についてその死と復活について大胆に語った。ペテロは何故このように変わったのだろうか。それは自分の努力によってではなく、聖霊に満たされたためであり、聖霊の力による。この時ペテロは自分の利害を考慮せず、困難にあってもしりごみせず、勇敢に主のために死に主のために生きたのだ。


Since 2023/9/17 Updated 2023/9/24