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2023年 10月29日
主日礼拝

説教
友のためにいのちを捨てる

ヨハネ15:12-16


15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
15:14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15:15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
小町 誠一 牧師

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当日の説教


説教要旨


15章から、イエス様は、ぶどうの木のたとえを通して、弟子たちとイエス様には親密な結びつきがあることを教えてくださいました。5節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」イエス様にとどまる、つながっているときに、多くの実を結ぶことをお話しくださいました。

そして、続けて、「実を結ぶこと」と「とどまること」とはどのようなものかを教えてくださいました。実とは、その人の信仰の生涯を全うすることによって結ばれる実です。栄光の冠をいただいて天の御国に迎え入れられることです。それは、祈りによって、みことばによって、またイエス様の愛にとどまり続けることによって、豊かな実を結ぶことができるのです。

■友のためにいのちを捨てること

12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです

イエス様が前に教えてくださいました。「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ1334)。これは、イエス様が弟子たちの足を洗われたあとに語られたことばです。

弟子たちが互いに愛し合うのは、イエス様が罪人に対して示された全き愛を基準にしなさいと教えるのです。この戒めをイエス様は、この最後の晩餐の席で繰り返し教えられます。このあと、17節でも言われます。「あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。

このように繰り返されているのは、キリスト者同士の愛がそれほど重要であり、またそれを実行することが難しいことを教えています。互いに愛し合うことは、キリストが教える福音の最もすばらしいものの一つです。

13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

キリスト者同士が持つ愛がどれほどであるかを教えます。それは、イエス様がそうされたように、いのちをかけるほどの愛です。イエス様は十字架の死でそれを示してくださいました。イエス様はその愛を、友のためでなく、罪人のために死ぬことによって示されたのです。

このことをパウロはこのように書きました。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」(ローマ58)。

確かにこれ以上の愛はありませんし、だれにもできない行為です。それでもイエス様は言われました。私たちが愛する者のために、いのちを捨てるほどの愛を示しなさい。このように努めなさいと言われるのです。

■わたしの友です

14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。

キリストが言われた命令に従いたい。それはすべてのキリスト者の願いです。行いは救いに至る絶対的な条件ではありません。行いによってはぶどうの実を結ぶことはありません。しかし信仰によって結ばれた実が、イエス様の戒めを行うことによって、またイエス様の戒めを行おうと努めることによって豊かな実に育っていくのです。

そのような者たちをイエス様は、「わたしの友です」と言ってくださいます。イエス様は友と呼んだ弟子たちのためにいのちを捨てるのです。そのような大きなイエス様の愛に包まれた弟子たちでした。

15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

しもべは、主人の心をすべて知っているのではありません。また主人の信頼を全面的に得ているのでもありません。しもべは、なぜ主人がこれをしなさいと言ったのか、その目的や主人の考えを知らされないこともあるのです。

神様がアブラハムに「わたしは、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか」(創世18:17)と言われました。神様と友との関係はそのようなものです。

「わたしはあなたがたに、わたしが父から遣わされ、この世に教えさせようとされる真理のすべてを明らかにし、何一つ隠さなかった。それゆえあなたがたは友と呼ぶのです。」

それはまことの、うそ偽りのない福音です。イエス様の十字架を信じて救われるということ。どうしたら天の御国に入ることができるのか。どのようにしてこの世の生涯を送るのか。これらのことをイエス様はご生涯の最後の3年間で、弟子たちに教えられたのです。このことを教えられ、信じた者たちは神の子であり、またキリストの友なのです。

しかし弟子たちは、この時、それをまだ十分に悟っていなかったのでした。それはこの後、イエス様の十字架と復活を見て、聖霊の働きによって、それをはっきり理解できるようになるのです。

そのことは、すでに語られました。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」(ヨハネ14:26)。

■わたしがあなたがたを選びました

16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。

イエス様が選んでくださり、使徒として任命してくださいました。そして永遠の救いへと選んでくださったのです。「神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」(エペソ15)とあるとおりです。

イエス様が彼らを使徒として選んでくださり、「」と呼んでくださったのは、「あなたがたが行って実を結び、その実が残る」ためでした。それは、この世に教会を建て上げるたために必要な働きでした。全世界に出て行き福音を宣べ伝え、救われた魂という実を集めるのです。その働きは受け継がれ、さらに教会が広がっていくのです。

またそのために必要なものは、祈りによって与えられていくことを教えてくださいました。「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」それは使徒たちによる奇蹟のわざを含む、すばらしい約束でした。それが弟子たちに対するイエス様のご計画でした。

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1)イエス様は兄弟を愛するようにと、もう一度教えられました。

イエス様は「これがわたしの戒めです」と言われました。しかも、「わたしがあなたがたを愛したように」と最高の基準を示されました。

パウロは言いました。「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです」(Ⅰコリント132)と。イエス様を信じ、天の御国を約束されている私たちが、日々の信仰生活で覚えたいイエス様の教えです。

2)イエス様は私たちを救ってくださるだけではなく、「」と呼んでくださるのです。

それは、「わたしが命じることを行うなら」と言われます。私たちは、その教えを完全には行うことはできませんが、イエス様は、私たちの「行う」「行いたい」という思いを知ってくださり、私たちを友としてくださり、決して投げ出さず、終わりまで私たちを支え、私たちと共に歩んでくださるのです。

3)イエス様が私たちを選んでくださったということです。

それは、ここにいた11人の使徒たちに対して言われたことばですが、私たちの救いも、永遠のいのちへの選びも、同じようにイエス様のみこころのなかにあることを覚えたいと思います。

神様が私たちに働いてくださり、それはあらかじめ定められた永遠のご計画でした(エペソ15)。そして聖霊を通して私たちを召してくださいました。そのことによって、私たちはイエス様の十字架を信じ、救われたのです。そしてその後の歩みで、一人ひとりがキリストにとどまり、豊かな実を結ぶようにとイエス様は願われているのです。

これからも救われたことを感謝し、信仰の歩みを続けたいと思います。


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