○○
2023年 11月12日
主日礼拝

説教
三つの誘惑に勝ったイエス様

マタイの福音書 4章1~11節

4:1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。<BR>
4:2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。<BR>
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」<BR>
4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」<BR>
4:5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、<BR>
4:6 こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」<BR>
4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」<BR>
4:8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、<BR>
4:9 こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」<BR>
4:10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」<BR>
4:11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。

車 孝振 牧師

♪
当日の説教


説教要旨

今日はイエス魔の試みを受け、御言葉で勝った話をしようと思います。

バプテスマのヨハネから洗を受けたイエスは、御に導かれて荒野に上って行かれました。荒野でイエス40日間絶食し、魔の試みを受けました。イエスはこれらの試みに勝ってキリストとしてのきを始めました。これはまるである偉大なことをする前に行う儀式のように見えます。そして、マタイとマルコ、ルカとヨハネが皆、この容を福音書に記しました。それだけ重要な意味がある容だからです。

弟子たちが聖書を記してした話は意味なく書かれたものがありません。使徒ヨハネはイエスの記を全て記しようとすれば、その記した本を置くところが十分ではないと言いました。では、イエスが受けたこれらの試みはどんな意味があるのでしょうか。そしてイエス魔の誘惑に勝ったことが、今日の私たちの人生にはどんな意味があるのでしょうか。イエスの三つの試みの中に入っているみを一に分かち合いたいと思います。

1.イエス様は父なる神様の意思に従ってこの地上での人生を送りました。

 イエス様は三位一体神様です。三位一体とは何かと説明するのは難しいです。神様が存在する方式を創造された人間が説明することができないからです。私たちは見ないこと、経験しないことを正確に説明できないからです。私たちが神様を経験で知ることができる部分は非常に制限的です。それで神様が三位一体でいらっしゃることを聖書の記録に依存するしかありません。聖書は神様の存在方式を直接的に説明していませんが、様々な姿を見せてくれます。それが父なる神様と御子と聖霊の三位一体です。この三位一体の説明で誤って説明されるものがあります。唯一の神様が色々な形で現れるということです。 家では夫と妻、職場では課長や部長としての役割をするという内容です。このような説明は聖書に現れる三位一体の神様に対する誤った説明です。このような誤った説明の一つがイエス様が父なる神様より下にいるという内容です。しかし、ピリピ人への手紙ではイエスは神様と同等の方だと教えています。(韓国語翻訳) そんなイエス様が息子として父なる神様に自発的に服従し、この地での苦難と困難を受けられました。何より、イエス様は父なる神様の意思でないことを言いませんでした。父なる神様の深い御心ですべてを決めて行動されました。

わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったのだからです。(ヨハネ1249

これは救われた信者がこの地で父なる神様の意思に従って生きていかなければならないことを示しています。そしてイエス様はこれを完全に成し遂げ、私たちの信仰の模範になって下さいました。

2.イエス様は聖霊の導きに従って行動しました。

イエス様は悪魔に試みを受けるために荒野に行く時、聖霊に導かれて行かれました。これはイエス様を信じて救われた信者がこの世の中でどのように生きるかを明確に示すものです。聖霊が導かれる通りに生きることです。羊たちは羊飼いの導かれるままに生きています。羊飼いの声と杖が羊たちを良い草が豊かな野原に導いて引っ張っていくように、私たちは聖霊が導かれる通りに生きなければなりません。

私たちが神様の意思を知っているからといって、その教えられた通りに生きることはできません。 イスラエルの民はモーセを通じて律法を受けましたが 律法を全部守る人生を生きることができなかったことを聖書の歴史があまりにも明確に見せています。そのため神様は自分の霊を私たちに送って下さいました。そして、私たちの中に留まるようにしてくださいました。コリントに手紙を送ったパウロは、私たちの体が神の霊が宿る宮だと教えています。

イエス様は聖霊が留まる人生を生きる模範になって下さいました。イエス様は聖霊の導かれる通りにすべての人生を生きるためにいつも時間がある度に閑静なところで祈り、また神様の父なる神様の意思に従って従順に暮らしました。そして、私たちにそのような人生を送れるようにするために、イエス様は十字架を通じて神様の聖霊が留まるように私たちの罪を赦して清めてくださいました。

だから私たちは聖霊の導かれるために祈らなければなりません。私たちの自分の聖さと神様の意思が私たちの人生に現れるように、聖霊の助けを求めなければなりません。そして、いつも神様の御心が何なのか分かるように聖書を読まなければなりません。

3.イエス様は三つの試み(誘惑)を通じてサタンの偽りの支配に対する勝利を宣言しました。

イエス様はなぜ試みを受けなければならなかったのでしょうか。そんなことがなくても弟子たちを呼んで教えることができ、奇跡を行うことができます。そして私たちの罪を赦すために何の問題もない方でした。ところで、なぜわざわざイエス様は荒野に行って40日間飢えられてサタンの誘惑を受けなければならなかったのでしょうか。それはイエス様が誘惑を退ける御言葉に見つけることができます。

1)神様の御言葉で生きていかなければならないことを示すためです。

最初は飢えたイエス様に「神のみ子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」と誘惑しました。イエス様は申命記8章の御言葉で答えました。

1.私が今日あなたに命じるすべての命令を、あなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生きてやし、主があなたがたの父祖たちに誓われた地に入って、それを所有することができる。2.あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたをませられたすべての道をえていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。3.それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。(申命記813

私たちはなぜこの地に生きているのですか。あまりにも大げさな質問のようですが、とても根本的で重要な質問です。生まれたから仕方なく生きる人生だと言う人もいます。しかし、私たちは神様を礼拝し賛美し、神様と共にいるために造られた存在です。私たちの人生は明らかな目的がある存在として創造されました。

わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える(イザヤ4321

私たちが神様と共に生きる人生は神様が望み、また私たちに幸せな人生になります。しかし、サタンはこれを妨害します。神様と私たちの間を引き離して帰れないように私たちに嘘を言います。単純に生存本能ために生きるということです。それで、こんな生存本能だけのために生きる問題に巻き込まれて神様から離れるように支配しました。イエス様は人間の命がかかった40日の期間を最後まで飢え、その限界点でサタンのこの嘘に真理で勝ち、私たちに神様の御言葉で暮らせる人生を見せてくださったのです。これがただ言葉だけで出てきたのなら何の役にも立たなかったでしょう。良い教えに過ぎなかったはずです。しかし飢えの末、イエス様はサタンの刺激に対して真理で答え、サタンの偽りの支配を破りました。そして私たちに次のように教えて下さいました。

25.ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。26.空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。27.あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。28.なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29.しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。30.今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。31.ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。32.これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。33.まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。34.ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。(マタイ62534)

世の中で食べる問題は重要な問題です。それを放っておいて、主の御言葉に従うと祈るばかりで、御言葉だけを見るのもまた間違った人生です。家族と自分の面倒を世話するために最善を尽くして任せられた人生を生きなければなりません。しかし、これが私たちの人生の中心になって悩み、心配して苦しむのは神様の意思ではありません。命も重要で食料も重要ですが、命がもっと重要なように与えられた人生を忠実に生きることも重要であり、神様の言葉通り生きようとすることも重要ですが、優先順位は食料より命で衣服より体です。そして、私たちの生存本能だけのために生きる問題より、神様の意思に従って生きた人生です。この順番をイエス様は最初の誘惑に勝つ勝利を通じて秩序を整理してくださることでサタンの嘘に勝ちました。

2)私たちの弱さを刺激する誘惑に勝つためです。

サタンは最初からずっと、「あなたが神の子なら」と言っています。 そして聖書を引用して、それを証明するよう刺激しています。

こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」(マタイ46

実際、イエス様はサタンの前でご自身を証明する必要はありません。サタンもイエスもお互いにとてもよく知っているからです。しかし、サタンはイエス様が人間になったことを弱点だと考え、誘惑し刺激するためにエバにしたように神様の御言葉を利用して誘惑します。イエス様の答えは明確です。 神である主を試みてはならない。

本当に神様の御言葉が正しいのかという信頼の質問ではなく、神様の御言葉を使って私自身の欲を満たそうとする時でさえ、神様の御言葉を利用することもあります。エバが蛇に誘惑されて最初に思ったことは何ですか、「この実を食べると本当に死ぬのか」 です。これを食べると神様のようになるという誘惑の前に崩れたのです。 私たちの周りの異端たちを考えてみると、彼らは神様の御言葉を間違って教えています。人間の欲望と弱さを刺激し、自分の欲を満たすために、言葉は偽りの道具になるのです。異端たちや御言葉を間違って使い、人間の欲を満たそうとする誘惑の前で、私たちはもう一度イエス様の答えを思い出さなければなりません。そして、サタンと私たち自身に断固として叫ばなければなりません。「神である主を試みてはならない。」

3) 世の中を持とうとする誘惑に勝つためです。

サタンはイエス様を非常に高い山に連れて行き、世のすべての王国とその栄華を見せて自分を拝むならこのすべてをあなたにあげると言います。サタンが見せてくれた世のすべての王国とその栄華は誰が造りましたか。神様が造られました。そのすべての栄光は神様から出たものです。それで世の中を見れば神様を浮び上がって神様の栄光を賛美し礼拝するのが正しいです。しかし、サタンはそれが自分のものだと嘘をつきます。そして、自分を拝むならすべてをあげるといいます。その言うことで、私たちの欲望を刺激しています。この世を持って楽しみたいという欲望は力と権力で表れたりします。創世記で大洪水が終わり、3人の息子の中でカナンの子孫の中から二ムロデという勇士が現れます。 聖書は、彼が神の前に力ある狩人であったと記録しています。しかし、この記録は二ムロデが神様に対抗し、自分の力を育て支配者になって神様の栄光を横取りし、都市を建設していった誤った姿を説明する言葉です。しかし、神様は都市の人たちを散り散りにさせ、支配者は結局神様の前で審判を受けるしかない者であることを聖書は絶えず私たちに教訓しています。

歴史の中で権力と力はますますお金の権力に変わっています。 そして、すべての人々がお金と権力を得るためにイエス様を誘惑したサタンの偽りに騙され、サタンの嘘のために生きています。私たちは知らないうちにお金をもっと稼ぐために世の富を所有するために神様に栄光を向ける人生ではなく、サタンの偽りの支配の下で暮らしながら私たちの魂を荒廃させています。

この誘惑に対してイエス様は答えました。

そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(マタイ410

イエス様が人としてこの地上に来られた理由は十字架を負うためでもありますが、すべての偽りの束縛から解放させるためでもあります。偽りの父、サタンとの戦いは100%イエス様の勝利が予定された戦いですが、イエス様は聖霊の導きに従い、神様の意思を成し遂げるために従順でした。これは軟弱な信者が聖霊に従って生きながら神様の御言葉を求めて生きれば、すべての偽りの誘惑と弱さを刺激するささやきの誘惑に勝てることを示したものです。肉体で来られたイエス様がこれを自ら見せながら勝機を先取りされるので、私たちの信仰が決して難しいことではないということをイエス様が見せてくださいました。

神様の意思が聖霊の導きを通じて毎日私たちの人生に現れる信仰生活になることを願います。



Since
2023/11/6 Updated 2023/11/11