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2023年 12月10日
主日礼拝

説教
聖誕のイエス様に会った人々

マタイの福音書 2章1~23節

2:1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
2:2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
2:3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
2:4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
2:5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
2:8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
2:9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
2:13 彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
2:14 そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
2:15 ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
2:16 さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
2:17 こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
2:18 「叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。
2:19 さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
2:20 「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
2:21 そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
2:22 しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
2:23 ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

A。 誕生日を祝う

私たちがこの世に生まれた日を誕生日と呼びます。 誕生日になると誰かから祝ってもらい、また誰かをお祝いします。それは、私という存在が世の中に生まれたことを祝福し、祝うからです。それで誕生日にお祝いしてもらえれば、本に幸せです。私が韓道師として奉仕をした時、年私の誕生日を私が担していた中高生部の中高生たちが祝ってくれました。 仕えていた教会の奉仕を終えて他の教会勤になったのに年誕生日の度に訪ねてきて私の誕生日を祝ってくれました。 今は私の家族が私の誕生日を祝ってくれています。 それで私の子供たちは誕生日という念をよく知りませんが、ケキを買ってろうそくを灯して歌う日、おいしいケキを食べる日だと思って待っています。 もちろんプレゼントも待っています。

もう12月になりますから然、各教会にはイエスの誕生日を祝う雰囲気ちているでしょう。 私たちの教会も前に置かれたこのようにろうそくを灯し、その昔イスラエル人たちがイエスを待っていたような持ちでクリスマスを待っています。それで一週間ごとろうそくを灯しています。

2千年前のイエスの誕生日にする容は福音書を書いた弟子たちの記によく表れています。  でも、その時がいつかははっきりと記していません。 そして、私たちが年記念しているクリスマスもイエスの本の誕生日ではありません。マの祭りの一つを選んでイエスの誕生日で祝っているだけです。それで25日をイエス様の聖誕として守っている存の教会が問題があると指摘されたりもします。しかし、イエス様が地上に来られたことは歴史的事実です。  イエス様は一年のうちのある日に生まれたはずです。 ですから、その日をある日に決めて守ることが問題になることはありません。 重要なことはイエス様がいらっしゃったこと自体を記念して記憶することです。

聖書、特に弟子たちの福音書にはイエスがこの地で生まれた時に何が行われたかが記されただけです。 今日、私たちが一んだマタイ福音書にはイエスの誕生を祝うために訪ねてきた人の話が記されています。 私たちは彼らを「東の方からた博士たち」と呼んでいます。

B。 東の方から来た博士たちは誰ですか

東の方から来たこれらの博士たちに関する記録は、マタイ福音書にのみ記録されています。 マタイが記録したこの東の方から来た博士たちはどんな人たちだったのでしょうか? 日本語聖書や韓国語聖書には、これらを博士と訳しています。 英語聖書では賢い人たちと訳しました。 ところが、ギリシャ語では、彼らに対しては星を観察する人々、つまり占星術師と呼ぶ時と同じ単語で彼らを呼んでいます。 その昔、星を観察して未来を予測していた人たちが占星術師でした。 聖書では、彼らに対する評価は良くありません。 偶像崇拝と同じ意味で使われたりしたからです。 しかし、これらの人々は星を通してユダヤ人の王、イエス様が生まれることを知っていました。 これはヘロデとの会話で、彼らがユダヤ人の王であると具体的に述べているものと十分に推測できます。 彼らは誰の誕生かを正確に理解していた様子を示しています。 一方、イスラエルの宗教指導者たちは聖書についてよく知っていながらも、イエス様がどこで生まれたのか探してみようとは思いませんでした。遠いところから来た異邦の占星術師たちがイエス様を訪ねてイエス様の生まれたことを感謝の気持ちで礼拝しました。

では、なぜ彼らは遠いところから来てイエス様の誕生を祝ったのでしょうか。イスラエルの人々は、預言者たちが預言した通りにいつか自分たちの民族のために成し遂げてくださるメシアを待っているですが、何の関係もない東の方の博士たちはなぜイエス様の誕生をユダヤ人の王が生まれたと信じてベツレヘムのところまでを訪ねてきたんでしょうか。

ここには多くの聖書学者の研究があります。BC584年、南ユダがバビロンに滅亡された時、多くのイスラエル人が捕虜として連れて行かれ、バビロンに住むようになりました。彼らはいつか帰るだろうという願いを抱いていました。時が来て神様がペルシアの王キュロスを通じてイスラエルの地にその彼らを帰るようにしましたが、すでに多くの時間を異邦の地で適応して生きてきたユダヤ人たちは大部分がバビロンに残りました。エステルとモルデカイがそのような人々の一例になります。そして、彼らは神様に対する信仰を守りながら生きてきたし、星を研究する人々にまで影響を及ぼしたということです。ユダヤ人の王が生まれるという情報を持って星を観察し、星が教えるイエス様が生まれた場所を訪ねてきたという意見もあります。何が事実なのかは定かではありませんが、マタイは彼らがユダヤ人の王が生まれることを知っていて、そして星の導きを受けてきて赤ちゃんイエスに会って礼拝し贈り物を捧げたということを記録しました。

マタイは東の方から来た博士たちを通じてイエス様が格式を備えた人々の礼拝と祝いを受けたことを記録しています。そして野原で羊を飼っていた羊飼いのような平凡な人生を送る人々の敬拝も受けました。 静かですが、非常に重要な日として最も貴重な誕生を記録しました。

C。 ところが、彼らは最初にヘロデを訪ねました。

ヘロデは当時イスラエルを支配していたローマの貴族たちにあらゆる賄賂を捧げ、イスラエルの王という地位を受けたただの政治的な王に過ぎませんでした。 真の王であるメシアを待っていたユダヤ人たちにとって、このヘロデは偽の王のように近づいてきたはずです。 それをあまりにもよく知っているヘロデは、自分の権力を維持するために立派な神殿も建てました。 しかし、依然として自分の権力を誰かに奪われるかもしれないという恐れを持っていました。その時にユダヤ人の王が生まれたという話を東の方から来た博士たちから聞いたので、どれほど驚いたでしょうか。そこで祭司長たちと律法学者たちを呼んで聖書の予言を確認しました。そして東の方から来た博士たちに、その赤ちゃんを見たら自分にも教えてほしいとお願いします。自分も拝むに行くと言っています。嘘でしょう。神様の導きにより、東の方から来た博士たちはヘロデに戻りません。 そして、このことを後になって知り、ヘロデは 2 歳以下の赤ちゃんを皆殺す恐ろしいことをします。

ヘロデは素晴らしい宮殿に住み、権力の利益を享受して生きています。そして周りには自分の王の正当性を証明してくれる祭司長や宗教指導者もいました。東の方から来た博士たちが知らなかったユダヤ人の王がどこで生まれるかに関する聖書の内容も調べて教えてくれる律法学者たちがいるほど情報力も強かったです。しかし、彼には神への信仰がありません。約束のメシアを待つ切実さもありません。 ひたすら権力のために政治力を発揮し、権力に脅威となる者を殺します。 華やかな宮殿にいて、すべてを持っているように見えますが、結局一つも自分のものではないのです。 いつ消えるか分からない彼の空虚で不安な心は、世の中の誰よりも貧しいだけです。 その窮乏で不安な心に握られた権力は民のために使われず、結局、罪のない子供たちを殺す恐ろしい姿で現れるようになりました。 しかし、永遠に続くようだった彼も結局死ぬことになり、彼の権力をめぐって自分の息子たちと親戚たちがお互いを殺ことが起こります。

真の平和のない人生の姿はヘロデのようです。

 

D。 しかし、赤ちゃんイエス様がいらっしゃるところには平和があります。

イエス様はヘロデのような素敵な宮殿で生まれることはありませんでした。 周りは馬と家畜の匂いでいっぱいだったはずです。 ローマ皇帝の命令で戸籍登録に来た人たちが一度にベツレヘムに押し寄せ、暖かい旅館に泊まることができなかったからです。 そのように難しい状況でイエス様が生まれましたが、神様は野原で羊を飼っていた羊飼いたちを送り、東の方で星を見ていた博士たちを送って下さいました。 そして貴重なプレゼントももらいました。  両親のヨセフとマリアの愛もありました。 そして何より父なる神様の心がそこに共にいました。

華やかな宮殿の中で権力を維持するために恐ろしく孤独に暮らしていたヘロデとは違う姿です。 これがまさに福音の真の姿であり、イエス様がこの地上に来られたクリスマスの意味です。 神様との関係が壊れた人間の姿はヘロデのような姿です。 外見は何の問題もないように見えても、実際にはあまりにも多くの恐怖と不安の中で生きています。 書店に行って見れば、そのような不安な人生を克服しながら生きるようにする多くの本がベストセラーコーナーに置かれているのを見れば、人々の人生がどれほど難しいかを推察することができます。

クリスマスはそんな人間のために来られたイエス様が生まれた日です。 神様を失って生きる存在のために直接訪ねてきた神様の愛がある日です。 それでイエス様は

28. すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。29. わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。[マタイの福音書112829]

と私たちにおっしゃってくださるのです。

私と皆さんがそのようなイエス様を信じる信仰を告白し、クリスマスの平和を毎日享受しながら生きることを願って祈ります。


Since 2023/12/9 Updated 2023/12/10