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2023年 12月17日
主日礼拝

説教
私にあるものをあげよう

使徒の働き3章1~10節

3:1 さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、
3:2 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。
3:3 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
3:4 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
3:5 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、
3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
3:7 こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、
3:8 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
3:9 民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、
3:10 これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

1節に午後3時の祈りの時間とあります。祈りの生活です。ペテロとヨハネは何をするために宮に行ったのでしょう。祈りです。246節にもあるように、彼らは毎日、心を一つにして喜びと真心を持って神を賛美し礼拝し祈っていたのです。祈りが彼らの生活の一部となっていました。

2節には生まれつき足の不自由な人が登場します。毎日誰かに運んでもらい、宮の「美しの門」に置いてもらい施しを求めていました。この人は生まれつき足が不自由で、事故か何かでこうなったのではなく、自分で選択することができませんでした。足が不自由ですから、生活はとても厳しく、他の人の助けが必要でした。誰かに宮の門に置いてもらい、宮に入る人々から施しをもらって生活していました。こういった生活は安定しません。今日は誰かの施しを受けて食べるものがあったとしても、明日はそれがなく飢えに耐えなければならないかもしれないのです。

この日もいつものように誰かに宮の門に置いてもらい、一日分の食料を得ることを期待しつつ施しを求めていました。

そこにちょうど、ペテロとヨハネが宮に入るために通りかかりました。この人は機会を捉えて彼らに施しを求めました。ペテロとヨハネはその人を見つめました。これを通してペテロの態度がわかります。誰かが助けを求めた時、彼はいい加減にあしらうのではなく、心から注意深く観察して理解しようとしました。この人の必要はいったい何なのか、一時的な満足や金銀なのか。それとも別の何かなのか。往々にして多くの人は一時的な必要を見て、長期的な目ではみません。使徒パウロはどうしたでしょうか。彼は「私たちを見なさい」と言ったのです。

この時代のクリスチャン達の中には、自分がクリスチャンであることや、自分の生活・信仰を通して、自分は神を愛する者だ、信仰深いクリスチャンだと、他の人に言えない人がいました。何故でしょう。なぜ他の人に自分のしていることを見せられないのでしょう。それは、神の愛と神の恵みに対する理解が足りないからです。生活も混乱しており、信仰を持って大胆に神を証しすることができなかったのです。

この聖書の箇所でペテロはこう言いました。「私たちを見なさい。金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。私の為に十字架にかかられたイエス・キリストを紹介しよう。あなたは、この贈り物を受け入れますか。」

この時、足の不自由な人は彼らを見つめた。心の中では、こんなことを考えたかもしれません。「彼らは金銀がないという。それなら何をくれるのだろう。しかも、あるものをくれるという」

そしてペテロは「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言って、彼の手を取って立ち上がらせたのです。

ある人には、この足の不自由な人と同じように、私たちが話したり祈ったりするだけでは足りず、主の愛によってその人を支え、励まし、助けることが必要でしょう。その時に、健康が快復し、信仰が快復し、神への愛が快復し、信じた頃の主への熱い心を取り戻すことができるでしょう。

この足の不自由な人は足とくるぶしが強くなってから、何をしたでしょう。躍り上がって立ち、神を賛美しつつ宮に入って行きました。このようなあふれるほどの喜びは、金銀や食べ物では得られないものです。健康が快復し、自由が快復し、本当の解放を得られた時に、初めて得られるものです。この源はイエス・キリストです。誰かをイエス様の前に連れて行くとき、初めは驚いたり珍しがったりするかもしれません。しかし後には、主を知り、主の救いの恵みにあずかるのです。


Since 2023/12/12
Updated 2023/12/14