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2023年 12月31日
主日礼拝

説教
美しい共同体

使徒の働き20章24~38

:20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。
20:25 わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。
20:26 だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。
20:27 神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。
20:28 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
20:29 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
20:30 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。
20:31 だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。
20:32 今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。
20:33 わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。
20:34 あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。
20:35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
20:36 こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。
20:37 みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、
20:38 もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨


1.使徒パウロの最後の説教
使徒の働き20章24節は、自分の人生を神様に献げた人々に非常に感動を与えるみことばです。文体もすばらしく、内容も感動的です。さらに、みことばを宣べ伝えるパウロの状況が大きな恵みになります。伝道旅行を終えた使徒パウロはエルサレムに行くことを決心します。ところがエルサレムは、パウロにとって非常に危険なところでした。なぜなら、イエス様を信じる信徒たちを迫害することに熱心だったパウロが、イエス様を信じるようになり、異邦人の教会の指導者になっていたからです。そこで伝道旅行中にパウロに会ったユダヤ人たちは、パウロを殺そうとしました。 彼を殺すと誓う人々がいたくらいでした。そのようなパウロがエルサレムに行くということは、自分から捕まりにいくようなものです。 しかしパウロは、自分がエルサレムに行く理由が聖霊の導きだと言います。 そしてローマの市民権を持っているため、罪人の身分だけでもローマ皇帝の前で自分を弁護する権利を使ってローマに行くことができるからだと言いました。
パウロは急いでエルサレムに行くために、自分が3年間牧会していたエペソ教会によらずにエルサレムに向かおうとします。しかし、エペソにある教会の長老たちと信徒たちが気になったのでしょう。そこで、ミレトスにしばらく泊まることになった時、使いを送ってエぺソにある教会の長老たちを呼び寄せました。 長老たちは、もしかしたら最後になるかもしれないと思ったのでしょう。急いでミレトスに来ます。 そしてパウロの最後の説教と挨拶を聞いて一緒に祈り、涙でパウロと別れる場面が今日のみことばです。
その時、パウロはエルサレムに向かう自分の最後の心情を伝えることになります。そういう気持ちが入っている聖書の箇所が、まさに24節です。彼がどれほど神様の福音を伝えることに情熱を尽くしたかがよく表れています。それでこの一節があれほど牧師と宣教師など神様の福音のために人生を献げようとする人々に大きな感動と力を与えるみことばになっています。
しかし、今日はこの24節よりも、遠くからパウロのもとを訪れ、最後の道のりを見送ってくれたエぺソにある教会の長老たちとエぺソ教会に注目しようと考えています。そして、そのエぺソにある教会について話をしながら教会の意味について分かち合いたいと思います。

2.エペソ教会
エぺソにある教会はパウロが第3次伝道旅行中に建てた教会でした。その前には、コリントでの伝道の後に、エペソに立ち寄ったことがありました。それで1年間伝道しながら弟子たちを教えていたパウロは、周辺のある人たちの妨害と威嚇があり、やむを得ずエぺソを去らなければなりませんでした。それから再びエペソに戻ってきたとき、エぺソの会堂で3ヶ月間教えていたところ、やはり妨害と脅威で他の場所で教えるしかありませんでした。それで、ティラノ講堂で教えるようになります。そして、そこでパウロはさらに 2 年間聖書を教え、講論を行いました。そのようにして蒔かれた福音の種が周辺に広がり、様々な都市に多くの教会が建てられました。この時、パウロは1、2次伝道の時に建てられた教会に手紙をおくります。この時、コリンドにある教会に手紙を書きながら、教会に関する色々な問題について教えましたが、それが第一コリント人への手紙です。そして、エぺソにある教会はヨハネの黙示録にも登場します。アジアの七つの教会にイエス様の称賛と責めることに対する言葉が使徒ヨハネに告げられます。エぺソにある教会は誠実で正しい信仰生活と悪を憎み、真理を愛していました。そして困難によく耐えたと褒められた教会でした。しかし、たった一つ、初めのころの愛から離れたと責められたりもしました。それでそれに対するイエス様の教えを受けることになります。

3.このようなエペソにある教会を通して、どのような教訓を得られるかについて考えてみましょう。
1) エペソにある教会は、聖書を深く勉強する教会でした。
エぺソにある教会は、パウロが3年もの間、みことばを宣べ伝えた教会でした。長い間、御言葉を学びながら成長していった教会です。また、ティラノ講堂というところで聖書を学び、勉強することに熱心だった教会でした。それでヨハネの黙示録にイエス様が七つの教会を称賛する時、エぺソの教会に対して悪を憎み、偽りの群れを追い出し、真理を守ったことを称賛されます。また、エぺソにある教会に伝えられた手紙エペソ人への手紙は、教会について深い神学的な教理が含まれています。
このように、神様の御言葉を通して互いに交わった関係は、内面に深い信頼を生じさせました。一緒に真理を勉強するという自負心とまた御言葉の恵みを分かち合うからです。何よりも聖霊が毎回深い感動と悟りをくださるので、これを共有し、真理を通じて互いに深く理解することになります。それでパウロは、急いでいましたが、エぺソ教会を通り過ぎることができず、その長老たちがミレトスに来るように使いを出し、長老たちも喜んで来てくれました。 真理で建てられた教会は、お互いを深く信頼し、お互いに献身することができます。
2)涙と愛がある教会でした。
エぺソにある教会に対するパウロの心は、愛と献身でした。18 ~ 20節は、彼がどれほどエぺソにある教会を愛していたかを示しています。エぺソにある教会の人々のために涙ができるほどで、そのような愛があったからこそ、長い間留まっていたのです。そのように長い時間を一緒に過ごしたパウロとエぺソにある教会の愛があったので、彼はミレトスで長老たちを呼び寄せ、自分の心を分かち合ったのかもしれません。 彼がエぺソの教会にいた間、コリントにある教会に送った手紙、第一コリント人への手紙13章に愛についての話が出てきます。それはおそらく、エぺソにある教会で経験した教会共同体の愛を本人が深い体験したから出た話しでしょう。 そして教会の長老たちもまた喜んでミレトスに来て、パウロの真心を聞きながらパウロの真心を共に分かち合いました。彼の最後のために一緒に泣きながら心配してくれる人たちでした。
36~38節は長老たちのパウロに対する深い愛が感じられる部分です。
3) 成長していく教会でした。
このように使徒パウロを通じて真理を学び、愛し合い献身したエペソの教会も、最初から成熟した教会ではありませんでした。 彼らはヨハネの洗礼しか知らない時もありました。 聖霊の深い恵みを体験できないまま聖書の知識だけを持っていた時期もありました。そしてヨハネの黙示録には、彼らが初めのころの愛から離れたというイエス様の叱責を受けるほど、形式的な信仰生活をしたりもしました。しかし、ヨハネの黙示録のイエス様は、彼らに初めのころの愛を回復するようにと命じられます。 彼らはイエス様と共同体を愛し、成長した教会だったからです。
世の中の誰でも最初から成長した体で生まれる人はいません。みんなが最初は赤ちゃんで、幼児で、青少年を経て成人になるものです。そして成人になっても絶えず人生の中で学んで成長していきます。 教会も同じです。最初から素敵で真理に満ちていて、愛と献身のある教会はありません。 一緒に困難な時を過ごしながら励まし合い、お互いに成長していくのです。また、長い時間がたっているにもかかわらず、依然として教会の中にいる私たちは未熟で成長しなければならない部分が多く見えるのが現実です。 それで教会は絶えず成長していく共同体です

4. そしてうちの教会は
私たちの教会はどうでしょうか。 私は4月からこの教会に来ているので、過去に何があったかわかりません。しかし、9ヶ月間一緒に過ごしながら、私は本当に多くの愛の中にいることを経験しました。 至らない私の説教にも耳を傾けて聞いて下さり、多くの変化にも喜んで参加して下さり、共に努力してくださいました。 その過程で皆さんの人生についての話を聞くことができました。 それで最初は神様の御言葉で皆さんを慰めてあげたい気持ちで説教を準備し毎日祈りましたが、時間が経つにつれて一人一人がすでに神様の慰めの中でこの教会を守りながら難しい人生の時間を守ってきた方々だということを知りました。 困難な瞬間を乗り越えて出てきた戦士のような方々だということを知りました。それで一人一人に対するイエス様の心は、忠誠なしもべに対する報いだったはずです。
こんな皆さんにまた別の宿題が与えられました。この足りない外国人牧師とともに、柏シャローム教会という主の教会を来年も続けていくことです。 しかし、エぺソにある教会が御言葉と愛で成長していったように、今よりも成長していくことを信じています。 牧師である私は皆さんの愛と祈りで成長していきます。 皆さんも私と一緒に成長していくエぺソ教会のような共同体になるでしょう。 共に成長する2024年のために祈ります。

Since 2023/12/30 Updated 2023/12/31