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2023年 1月7日
主日礼拝

説教
神様の御口から出る言葉で生きる人生

申命記8章1~20節

:8:1 わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。
8:2 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
8:4 この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
8:5 あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。
8:6 あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。
8:7 それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、および淵のある地、
8:8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、
8:9 あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる。
8:10 あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。
8:11 あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。
8:12 あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、
8:13 また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、
8:14 おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、
8:15 あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、
8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。
8:17 あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。
8:18 あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。
8:19 もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。
8:20 主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。
車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

新年あけましておめでとうございます。新たな年が始まりましたが、11日の午後に石川県能登半島で地震が起きました。残念ながら多くの方々が被害をされたというニュースを見ました。そして、その翌日までに津波警報が発生し、私たちを緊張させました。また、飛行機事故まで起き、希望のニュースより心が苦しくなるニュースが相次ぎました。考えてみれば、前日と変わらない一日ですが、私たちは新年と名付けて意味を付けています。それで新年に起きたこの地震と事故も普段と変わらない日常の事故かもしれませんが、新しく始まる時点で起きたことなので違うように感じとってしまいます。私たちにどんな意味か明確に話すことはできませんが、このような地震と災害を見てこの国と日本人、そして被害を受けた多くの方々のために神様に祈り慰めを求めなければなりません。早く復興し、より多くの被害が生じないように神様の恵みを求めます。

そして2024年の最初の礼拝説教を通しても意味を探したいと思います。それで一に分かち合いたいみことばが申命記です。

申命記はモが書いた5つの書物です。特にモーセの最期が記されています。申命記が書かれた理由は、新しい世代の信仰の育のためでした。荒野で生まれた世代が育ち、40代の大人になりました。そして、その後も多くの子どもたちが生まれました。紅海を渡った経験もなく、神がどのように導いたのかにする経験も、親の世代より経験できなかった人です。そのため、再び神のみことばと約束に関する教育が必要でした。そのためにモが再びイスラエルの民を集め、新たに神についてえているのがまさに申命記です。また、この申命記に記されたみことばを聞く新しい世代は、カナンに入って定着する世代です。以前、荒野を通ってきた世代とは異なる世代なので、定着するべき地で注意しなければならないことに関する教えと、カナンのな民族の偶像崇する警戒をえなければならず、心構えもまた新しくしなければなりませんでした。

モーセは彼らに神様がどのようにイスラエルを導かれたのか、またどのように生きることを望んでおられるかについて教えます。これは、その時代のイスラエル人だけに適用される教えではなく、今の時代を生きていく私たちにも当てはまる神の教えです。なかでも核となることが8章です。この8章を通して、私たちにくださる神様の教えと恵みを一緒に分かち合いたいと思います。

1. 神様はイスラエルの民を選びました

神様が教えられる対象はイスラエルの民です。他の民族でもなく、イスラエルの民を選び、導かれました。この選択は、アブラハムを選ばれたときからすでに始まっていました。神様はアブラハムに「あなたの土地、あなたの親族を離れて、私が示す地へ行きなさい」と言われ、またそこでアブラハムの子孫を通じて大きな民族になすと約束してくださいました。そして何より、神様は彼の子孫がエジプトに行って暮らすようになり、4世代後に戻ってくるといわれました。この神様のみことばがその通り実現します。そして、そのように4世代後に出てきた人々の子供たちに神様の教訓を新たに教えているのがまさに申命記です。では、神様はなぜイスラエルの民を選ばれたのでしょうか。

申命記77節にその理由が記されています。

⒍ あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。7. 主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。

特にこれといった理由がないということです。選びだけの理由がイスラエルにはありませんでした。むしろ選ばれない理由のほうが大きかったといえます。数が少なく、非常に弱いので適していませんでした。それでも理由があるとしたら、8節に記されているみことばです。

8.しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。

ただ、この民を愛しているからでした。神様がイスラエルを愛していたからです。これが恵みです。神様は私たちを愛しています。神様は私たちが正しく生きているかどうか、有能かどうか、仕事ができるか、誠実か、怠惰か、関係なく、ただ私たちをありのまま愛してくださいます。至らない私たちをそのまま選び、導いてくださいます。

そして、そんな神様の愛はイスラエルだけではなく、世界中に向けられています。申命記9章に、こう記されています。

5. 世界が私に属しているから、あなた方が私の言うことをよく聞いて私の約束を守れば、あなた方はすべての民族の中で私の所有になり、6.あなた方が私に対して祭祀場の国になり、聖なる民になるだろう。あなたはこの言葉をイスラエルの子孫に伝えるだろう

神様はイスラエルだけではなく、すべての人を愛しています。すべての人は神様の被造物だからです。神様はこの世の罪の影響力の下で支配されている私たちを罪から救おうと望んでおられます。愛しているからです。人を罪から救おうとする神様のみこころは、その昔、エバが善悪を知る木の実を食べた時から始まりました。そして、神様のみこころはアブラハムにも及びます。アブラハムの子たちがイスラエルの民になって神様が導いてくださり、その中で神様はイエス・キリストを送ってくださいました。それがまさにクリスマスです。神様と人間の隔たりをつなぐ祭司長の役割のために、イスラエルは呼ばれました。神様のみことばを預けて下さり、罪を赦すためにいけにえを捧げる方法を教えて下さり、そしてこのすべてになるイエス·キリストがイスラエルの民に与えられました。

2. 選ばれた者たちは聖別して聖なる人生を生かなければなりません。

神様はイスラエルを愛し、選ばれました。そして神様の民として生きることを望んでおられます。それは他の民族の生き方とは違う人生です。当時の他の民族はどのように暮らしていたでしょうか。神様ではなく偶像を拝んでいました。本来、人間は神様を礼拝し、愛するように造られました。しかし、神様への愛の心は、自身の欲に変わりました。そして、欲を満たして力があると思われた対象を作り出し、拝むようになります。それで聖書は偶像崇拝の本質を貪欲だといいます。

. ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。(コロセ人への手紙 3:5

神様ではない他の神を拝むことは、自分の貪欲に支配されることです。罪の支配下にあります。それで神様がイスラエルに与えて下さった十戒の最初の命令がまさに「私の以外に、他の神があってはならない」です。そして続いて「偶像を造って拝んではならない」です。これは古代社会では難しいことでした。なぜなら、だれもが偶像を崇拝していたからです。偶像を拝むことは、自分の村と共同体の生活と深く結びついていました。ですから、見えない神様だけを礼拝することは自らマイナーグループに属する者になると意味します。共同体を離れて生きるという難しい人生を選択することを意味します。(それでアブラハムに要求されたのが先に住んでいた土地と親族と父の家を離れることでした)しかし、神様から選ばれたイスラエルの民には、そのような難しいことが要求されたのです。その当時の偶像を崇拝しないということは、基本的に共同体の利益を放棄し、寂しい人生を選ぶ難しい道でした。神様は大きな共同体であるイスラエルを選択し、周辺に他の民族が少ない荒野に導びかれたのです。そして、他の民族が生きていく方式ではなく、神様だけを頼りに生きるように教え、導きました。それでイスラエルの民を聖なる民と呼ぶのです。

6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」[出エジプト記 19:6]

聖書の「聖」とは区別されることを意味します。他の民族の生き方ではなく、神様の民として神様だけを頼りに生きていくことです。道徳的に完璧になることではなく、初めて神様がアダムを造られた時の神様との関係を回復されることです。

3. 神様の御口から出るすべてのみことばで生きるということのです。

神様に選ばれた聖なる民は、自分の中の貪欲と欲望ではなく、神様から与えられる恵みによって生きていきます。申命記83節は 人がパンだけで生きるのではなく、神様の御口から出るすべての言葉で生きるという人生の方向と目的を教えています。

車は、ガソリンを入れることが目的ではありません。遠く、また、速く移動するために作られたのが自動車です。ところが、そのような自動車がガソリンスタンドでガソリンだけを入れて動かそうとしないと、自動車としての目的と機能を失ってしまいます。私たちの人生の目的は神様を礼拝し、その方だけを賛美し、その方によって楽しくて幸せな人生を生きることです。私たちがそのような人生を送れるように、神様はパンを私たちに与えて下さいます。パンは私があげるから、あなたは私を礼拝し、私の愛される人生を生きて行きなさいと私たちに教えるために40年間を荒野でマナを下さり、導いてくださいました。

2.あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。3.それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。4.この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。(申命記 8:24

荒野は、神様の愛をどのように受けるかについて学ぶ信仰の学校でした。イスラエルの民はその信仰の学校を通して神様だけを頼りに生きる方法を学ぶようになります。そして、この信仰の学校は他の国と民族に神様を伝えるイスラエルの祭司の王国の役割を担わせるようにしました。カナンの戦争の時にラハブという異邦の女性が神様を信じるようになりました。また、さばきつかさの時代にルツという女性が神様を信じる信仰の人生を選択しました。彼女たちは皆イエスの先祖になりました。 

時間が経って、イエス様が地上に来られてサタンに試みを受けられた時、イエス様がサタンと人間に向かって一番先に宣言したのがこのパンに対するサタンの嘘でした。

2024年に起きた災害と事件で始まり、私たちの心が少し難しいですが、そのような環境の中でもむしろ神様の御言葉で生きる人生の豊かさが満ちる一年になることを祈ります。


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