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2023年 1月28日
主日礼拝

説教
世から選び出された者

ヨハネの福音書 15:17~21

:15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。
15:18 世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。
15:19 もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。
15:20 しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。
15:21 しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。
小町誠一  牧師
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当日の説教


説教要旨


■世から憎まれる

17 あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。
18 世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。

イエス様はここで、この席で言われた「互いに愛し合う」という命令を繰り返されます。
新約聖書の原文では、章も節もありません。今までの新改訳聖書は15章全体に段落をつけず、一つのまとまりとしていました。新しい「新改訳聖書2017」では、17節で段落が終わり、18節から新しい段落が始まるように訳されています。
イエス様は、ここでまとめとして、12節で言われたことを、もう一度、17節で、「あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます」と語られたのです。そして、あなたがたが「互いに愛し合って」歩む時に、世の憎しみに直面し、迫害を受けることになるのです。世があなたがたを憎むなら、あなたがたはますます互いに愛し合うことが必要になってくるのです」と、イエス様のお話は続いていきます。
イエス様は、ご自分の死後、弟子たちに対してすぐにユダヤ人指導者たちの憎しみ、敵意の迫害が始まることをご存知でした。その弟子たちにイエス様は、励まし、慰めを与えるのです。
「そうなっても驚いたり、勇気を失うようなことがあってはなりません。あなたがたに非があるのではありません。あなたがたより先に、この世の人々はわたしを憎み、迫害してきました。あなたがたはわたしといっしょにいて、それらすべてを見てきました。」

■世から選び出された者

19 もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。

イエス様は、ユダヤ人指導者たちが、そして教会が建て上げられていく社会の人々が弟子たちを憎むのは、あなたがた弟子たちがキリストの弟子であることを証しするものであると言われました。
山上の説教で、「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです」(マタイ5:11)と言われました。
この世の人々は、自分たちと同じものを愛します。しかし、キリストの弟子たちは、この世と似ておらず、信仰に基づいた違った考えを持ち、違った生活をすることがあるのです。それは、弟子たちがイエス様に選ばれ、使徒とされたからでした。この世が使徒たちを愛するはずがなかったのです。
世の人々がキリストに敵対して歩むことは受け入れたくないことですが、それは避けがたい、現実のこととなるのです。イエス様は、この19節だけで、「世」ということばを5回も使われました。この世とご自分の立場が反するものであることを弟子たちに何とか分からせようとされたゆえでした。

■キリストが受けた迫害
20 しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。

「しもべは主人にまさるものではない。」これは、イエス様は弟子たちの足を洗われた時に語られました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません」(13:16)。
イエス様は弟子たちに、ご自分より良い扱いが弟子たちに向けられることを期待してはならない、と教えられたのです。イエス様が受けた扱いと同じことを弟子たちも受けるのです。
「わたしは迫害を受けました。あなたがたにも同じように迫害するでしょう。彼らは私の教えを聞きましたが、守ろうとはしませんでした。あなたがたが語ることばにも同じように反対するでしょう。」
イエス様は弟子たちに「覚えておきなさい」と、その時になって戸惑うことのないようにとあらかじめ教えられたのです。

21 しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。

このような迫害の原因はイエス様にありました。弟子たちが憎まれるのは、弟子たち自身のゆえではなく、キリストの教えを掲げ、キリストにならって生きるからでした。
キリストのために苦しみにあっていることを、パウロはこのように語りました。
「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです」(コロサイ1:24)。

今日のところから2つのことを覚えたいと思います。
1)イエス様は、使徒たちがこのあと必ず遭遇する、この世から受ける憎しみと迫害を語られました。「世はあなたがたを憎みます。世はあなたがたを迫害します。」11人の使徒たちは「イエスの名」のゆえに迫害されるのです。
使徒たちは、その警告のように、行く先で迫害を受けました。使徒たちの大部分は殉教の死を遂げたのです。
2)私たちも同じように、キリスト者であるという理由で迫害を受けることがあるかもしれない、ということです。
しかもその迫害が、自分たちにとって正しいことを行っていると思ってすることがあるのです。
このあとイエス様は言われます。「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。実際、あなたがたを殺す者がみな、自分は神に奉仕していると思う時が来ます」(16:2)。
それは、彼らの無知から来る行動でした。「わたしを遣わされた方を知らないからです」(21節)とあるとおりです。
「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(Ⅱテモテ 3:12)。これは、使徒たちにではなく、最初の教会の信徒たちにあてたことばでした。

私たちは、幸いなことに、迫害のない時代に生きています。しかし迫害を受けることによって、自分がキリストによって選ばれ、この世から救い出された者であることを強く覚えることができるのです。そのことは感謝なことであり、励ましです。
イエス様ご自身は、ことばにも行いにも正しく何の落ち度がなかったにもかかわらず、人々に憎まれ、十字架の死に追いやられたのです。それは私たちを愛し、私たちを罪から救い出すためでした。
私たちの信仰生涯が、平和のうちに歩み続けることができるように祈っていきたいと思います。


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