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2023年 2月11日
主日礼拝

説教
神様の慰め

創世記13章1~18節
  
13:1 そこで、アブラムはエジプトを出て、ネゲブに上った。妻と、所有するすべてのものと、ロトも一緒であった。
13:2 アブラムは家畜と銀と金を非常に豊かに持っていた。
13:3 彼はネゲブからベテルまで旅を続けて、ベテルとアイの間にある、最初に天幕を張った場所まで来た。
13:4 そこは、彼が以前に築いた祭壇の場所であった。アブラムはそこで【主】の御名を呼び求めた。
13:5 アブラムと一緒に来たロトも、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
13:6 その地は、彼らが一緒に住むのに十分ではなかった。所有するものが多すぎて、一緒に住めなかったのである。
13:7 そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
13:8 アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。
13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
13:11 ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた。
13:12 アブラムはカナンの地に住んだ。一方、ロトは低地の町々に住み、ソドムに天幕を移した。
13:13 ところが、ソドムの人々は邪悪で、【主】に対して甚だしく罪深い者たちであった。
13:14 ロトがアブラムから別れて行った後、【主】はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。
13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。
13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのように増やす。もし人が、地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えることができる。
13:17 立って、この地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに与えるのだから。」
13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

アブラハムはエジプトで神様の保護を受け、無事にカナンに戻りました。 そしてたくさんの宝物や家畜をファラオからもらいました。 厳しい飢饉の時、神様はアブラハムを保護し祝福して下さいました。 アブラハムが自分の妻、サラを妹だと騙したにもかかわらず、神様はアブラハムを保護し祝福してくださいました。 しかし、人生が私たちの望む通りになればどれほど良いでしょうか。思ったよりうまくいかなかったり、思ったこととは違う方向に現れたりしたのが私たちの人生です。 しかし、その中でただ神様だけが希望になることを、今日のみことばを通じて共に分かち合いたいと思います。

1. ロトとの決別

アブラハムがエジプトから出てきた時、ファラオに多くの財産をもらいました。 しかし、このように受け取った財産は、アブラハムの家に葛藤を引き起こします。 甥であるロトが自分の財産に対する欲が生じたからです。 そのような葛藤は、ロトの家畜の牧者とアブラハムの家畜の牧者が互いに争う姿で明らかになりました。 これを見たアブラハムは、仕方なくロトを手放さなければならないと思いました。 そして、彼にまずどこに行くかを選ばせました。 ロトはソドムという町を選び、二人は別れることになりました。

ロトのこのような行動は誤った行動です。

1)まず、ロトはアブラハムと葛藤を起こしました。ロトにとってアブラハムは父親のような存在です。 なぜなら、自分の父親のハランが早く亡くなり、自分が叔父であるアブラハムの保護のもとで育ったからです。 そんな父親のようなアブラハムを尊重し、謙遜に仕えることができず、競争の対象にして欲張るようになったのです。 自分を育てて保護してくれた人に感謝より欲を見せたロトの姿はアブラハムに十分傷になったはずです。  2)そして、ロトは信仰がありませんでした。 エジプトで神様がアブラハムとサラをどのように守ってくださったのかを見たはずです。 それでも彼は神様に対する感謝より財産を増やし、アブラハムと競争することだけに没頭しました。 彼がソドムという罪悪が満ちた町へ行って定着して生きるという選択は、彼が神様の導きに対する信仰より自己欲望の道を選択させたのです。

しかし、アブラハムの姿はロトとは違いました。

1)ロトを手放すことにしました。 アブラハムにはロトは子どものような存在でした。 アブラハムには子供がいなかったので、弟のハランの息子ロトに対する愛は格別だったはずです。 そのため、ウルを離れた時にもアブラハムはロトを一緒に連れ出していました。 しかし、ロトが成長して自分の人生を生きようとした時、それを認めて彼の人生のために自分から独立させようと決定をするようになりました。 2)選択の優先権をロトに譲りました。 財産が増えたものの、まだ定着していないアブラハムにとって、土地を選択するという言葉は所有を意味するものではありません。 自分たちが泊まるところを選択して移動するだけです。ところが、良い土地に一緒に行けばまた戦うことになるので、どんな土地を選択するかを先にロトに選ばせたのです。 あなたがいいところに行けば、その反対側に行くということです。 ロトがソドムという罪悪な土地を人間的な目で選択し、行って定着して生きると選択することは違ってアブラハムは依然として色々な地域をさまよいながら神様の導きを願うことを選択しました。

アブラハムの人生の態度はいつもマイナスの選択です。 家族からロトを手放すことも、また選択権をロトに譲ることも、生まれつきの性格が葛藤を嫌い、おとなしい性格だったのかもしれませんが、基本的にいつも神様を意識して、神様に頼る人生でした。それで息子のように育てたロトを見送ることによって暮らしていたところを離れ、父親を離れ、最後に親戚から離れろという神様の命令が完全に守られるようになりました。

2. 神様の慰め

自分の子供だったロトを送ったアブラハムの心はとても痛かったことでしょう。 彼の寂しさを神様はご存知でした。 そして彼を訪ねてこられました。

1)神様は私たちを訪ねて来られる方です。 友人が大変な目に遭う時に訪ねて慰めるように、神様はアブラハムを訪ねてきてアブラハムを慰めてくださいました。 私たちの神様は、この世の誰よりも私たちの心をご存知です。 その方は私たちを造られた方であり、私たちの父親になる方です。 私たちに向けた目は暖かいまなざしです。 難しい決定をしたアブラハムの寂しくて残念な心を神様は励まして慰めたがっています。 そのため、先に訪ねて来られました。

2)私たちの心の真心を知り、真の慰めをくださる方です。 ヨブ記には苦難にあったヨブを慰めるために遠くから3人の友達が来ます。 しばらく抱き合って慰め合いますが、3人の友人たちはヨブの苦難を受けた心よりヨブに誤った忠告をしながら悔い改めることを勧めます。 3 人の友人は、ヨブにとって本当の慰めにはなりませんでした。 しかし、神様がアブラハムを慰めるこの場面は、その方がどれほどセンスの良い方なのかが分かります。 (神様にそんな言葉は合わないですが) 神様は直接的に頑張れと言わず、アブラハムに目を上げて東と西を見るようにと言います。 そして、その土地をすべてあなたに与えると言われました。 メソポタミアで定着した人生を生きていたアブラハムがカナンに来てさまよう人生を生きています。 ところが、ロトは自分のような寄留者ではなく、定着した生活のために町を選びました。 信仰で選んだものですが、損をするようで敗北感のようなものが彼の心に生じたはずです。 神様は正確にその心に対して約束をされたのです。 今はさまよっているように見えるかもしれないけれども、あなたが歩き回りながら見たその土地はあなたとあなたの子孫のものになるだろう、とおっしゃっていました。

また、神様はアブラハムにとって子どものようなロトと別れた心を知り、あなたの子どもたちは地のちりのように増やし、数え切れないほど多くなるだろうと言われます。 彼に子どもを与える約束をしたのです。

このように、神様は私たちの深い心を誰よりもよく知っています。 そして、私たちに深く正確な慰めを与えてくださいます。

3)神様はアブラハムが落ち込んでいるときに訪ねてこられました。 与えられた人生を生きていると、私たちの思い通りにうまくいかない時があります。 特に、信仰を持って選択したことが、ばかげた選択であったかのように見えることさえあります。 しかし、そのようなとき、私たちの人生が私たちの思い通りにうまくいかない時、その時がまさに神様が私たちに慰労を与えて力を与えてくださる時です。 ペテロは一晩中苦労し、最善を尽くして網を投げましたが、何も得たものがない失敗の瞬間にイエス様が訪ねてきました。 ダビデの深い信仰の歌は、ゴリアテを倒す時ではなく、サウルと敵に命を脅かされて隠れていた時に歌われました。

皆さんの人生はどうでしょうか。今の心は思い通りに成し遂げるロトの心と同じですか。それとも全て譲歩して正しい決定をしたと思いましたが、悲しい気持ちになるアブラハムのようでしょうか。アブラハムのような気持ちなら心配しないでください。 アブラハムを慰めたその神様の慰労が皆さんにも共にいるためです。

3. 神様のために祭壇を築くアブラハム

アブラハムの話しの終わりは、常に祭壇を築くことでした。 今のように教会があるわけでもなく、モーゼが教えたいけにえもないアブラハムの時代に人々が神に自身の信仰を見せる礼拝の方式は祭壇を築くことでした。 アブラハムの周辺のカナンの人々もアブラハムのように祭壇を築きました。 時には素敵な神殿を建てたりする国もありました。 みんな同じ形で祭壇を築きましたが、誰のために祭壇を築いたのかが肝です。 アブラハムは神様のために祭壇を築きました。 神様への尊重と愛、そして任せて依存する心を必ず祭壇を積むことで表現しました。

時代が変わり、私たちは礼拝堂で一緒に集まって神様を礼拝しています。 その方式が変わっただけで、私たちの礼拝はその時のアブラハムが積み上げた祭壇となんら違いません。 アブラハムが神様のために祭壇を築いたように、私たちもまた神様のために礼拝を捧げるからです。

信仰は、神様が訪ねてきて私たちを呼び、慰めてくださる限りない愛を見せてくださる神様に対して、私たちが見せる心の表現です。 アブラハムと神様の関係は創世記で引き続きパターンでさらに深くなります。 そしてアブラハムの信仰はさらに成長するようになります。

毎週捧げる私たちの礼拝が、アブラハムが積み上げた祭壇と同じであることを願います。 そして、このような礼拝が毎週毎週続くことで、皆さんの信仰もアブラハムのように成長していくことを願っています。

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