○○
2023年 2月25日
主日礼拝

説教
悔い改めて神に立ち返る

使徒の働き3章11~19節  

3:11 この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄って来た。
3:12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
3:13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
3:14 あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
3:15 いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
3:16 このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。
3:17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
3:18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
3:19 ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。

ファン・グオホア 宣教師
♪
当日の説教


説教要旨

生まれつき足の不自由な人が癒やされたのを見に来たイスラエルの人々は、珍しいものを見るように集まってきただけで、その心には神がいませんでした。この出来事と神さまをつなぎ合わせて考えることもできませんでした。人を見て神を見ない。自分中心で、自分の立場からしか物事や人を見ることができなかったのです。彼らは起きた出来事や人を通してしか、神を見ることができません。神を通して、人や物事を見ることはできませんでした。

そこでペテロは人々に向かって言いました。「あなたたちは、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして私たちを見ているのですか。私たちが自分の能力でこれらのことをしたと思っているのですか。私たちの父祖達アブラハム・イサク・ヤコブの神は、すでにご自分のひとり子イエス・キリストに栄光をお与えになりました。」

しかしイスラエルの人々は、この主を引き渡してしまったのです。この聖なる正しい方を拒み、却って一人の殺人犯を釈放するように求めました。正しさを拒み、悪を受け入れる、当時のイスラエルの人々の心の暗闇をみることができます。彼らは、自分達が拒んだイエスこそが命の主であることを知りませんでした。父なる神は彼を死から復活させたのです。
今日の私たちはこれら全てのことの証人です。復活の主の御名は不可能を可能にします。この生まれつき足の不自由な人が、完全に癒やされて、健康を快復したように。この病人を彼らは毎日見ていました。彼の状況もよく知っていました。しかし神が与えられた信仰によって、彼は健康を得、完全な癒やしを得たのです。

しばしば私たち人間は、間違った道を歩んでいても、自分では全く気づかないことがあります。間違いを何度も繰り返したり。しかし、私たちの主は、それでも私たちを赦し受け入れてくださいます。主は人や物事、環境を通して、私たちに悔い改め、自分の間違いを認め、神さまの方に向きを変え、赦しを受け入れるように気づかせてくださいます。私たちは神さまの前に、自分が犯した間違いと向き合い、責任を他に押しつけず、主の真理にある教えを受け入れ、主の尊い血によって洗い清められ、主の安息に入ることができるのです。

Since 2024/2/24