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2023年 4月14日
主日礼拝

説教
クリスチャンの8つの幸い

マタイの福音書5章 1~10節

5:1 その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。
5:2 そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。
5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
5:4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
5:5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
5:6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。
5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
5:8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。
5:9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

今日はイエスが集まった群衆と弟子たちにえて下さった8つの幸せについての話です。

1. この幸せは、神がくださる幸せです。

しかし、この幸せというのはキリストの信徒だけにあるわけではありません。イエスを信じない人にも幸せはあります。は全ての人間のために同じ祝福をえました。日昇る太陽と植物を育てる雨。そして春の暖かい風と秋に豊かに結ばれるなど。この世には神が創造されたその秩序にってえられる世の中の祝福があります。 また、このような幸せはその原理にって人生の人生にもえられます。勤勉くと良い結果があり、善良で正しい人が認められ、報酬を受ける時があります。 しかし、考えてみれば、世の中の幸せというものは生じることもあり、生じないこともあります。 それで、正義で正しい結果より正義ではなく不条理な結果が生じることが世の中の幸せの特徴と言えます。熱心に勉すれば結果が良く出ますが、カンニングをしても結果が良いことがあります。で正直に仕事をする時、良い成果があります。しかし、いことをしてもお金をたくさん稼いで、結果が良い場合もあります。罪による性を持った人間の人生には、常に神が創造された秩序を捨てて生きていく人生の方法を選した人に結ばれる良い結果を見て、正直な人と誠な人たちの心は常に理解できない悔しさが生じざるを得ません。それで、これが世の中の幸せの持つ限界を物語っています。

しかし、神からえられた幸せはそうではありません。わりもなく永遠です。祝福してくださる神わらない方だからです。

すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。(ヤコブ117)

今日のみことばは、イエス様が私たちにその幸せを教えてくださっている場面です。 神様の子供になった人々は幸せ、すなわち祝福を享受するが、その祝福がこのような祝福だと教えてくださるのです。

イエス様が来てなさったことに教えることがあります。何を教えられたのでしょうか? まさに神様に関する話であり、神様がいらっしゃる神様の御国に関する話でした。そして、その神様の御国で神様と共に幸せを享受することがまさに私たちだということを話されました。そして、そのすべてを阻む罪と堕落をイエス様が背負って十字架につけられたことを教えられました。そのようにイエス様の十字架によって罪から抜け出した私たちの姿は、まさに祝福を受けた幸せな人々だということです。今日のみことばには8つの幸せを受けた人々は、まさにイエス様を信じて救われたクリスチャンです。

2.この幸いは子供に与えられる祝福です。

マタイの福音書5章に出てくるこの8つの幸いについて誤解することがあります。ある行動をすればその幸いを享受することができるという宗教的な条件で考えることができます。イエス様がおっしゃった8つの幸いは、イエス様を信じてキリスト教信仰を持った人に与えられる特権であり祝福です。 イエス様は心を貧しくしろと言わず、「心の貧しい者が幸いです。」とおっしゃいました。イエス様を信じる信仰を持つということは、神様との関係が再び続くということを意味します。だから、私たちは神様を父と呼ぶことができます。神様が私たちの父になってくれるということです。
幼い頃、私が一番うらやましいと思っていた友達は、父親が文房具店を営んでいました。(韓国の文房具にはロボットのおもちゃも売っていました)それで、その友達の家に行くと素敵なロボットが本棚に展示されていました。 その時、ガンダムというロボットアニメがあることを初めて知りました。しかし、その友達にもうらやましいと思う友達がいました。 父が中華料理店を営んでいる友達でした。美味しいジャージャンメンを毎日食べるというのがうらやましかったそうです。中華料理店の友達は私の家をうらやましいと思っていました。私の家は服屋をやっていました。 その当時流行っていた有名なプロ野球チームのデザインの服を、私はお金を払わずに着ることができたからだと言っていました。考えてみれば、みんな父親が誰かによって享受できる恩恵が色々あったのです。その友達がロボットのおもちゃを得るために、ジャージャンメンを食べるために何かをしなければならなかったということを聞いたことがありません。 もちろん私も有名なプロ野球チームのデザイン服を着るために何の努力もしませんでした。父は息子と娘に何でも与えたいと思っています。子供たちの幸せな心のためにそうするのです。私たちの神様もそうです。私たちを造られて、祝福してくださいました。それは、私たちが幸せな心を持つことを神様が父親として望んでいるからです。そんな神様の心でこの8つの幸いを考えてみれば、私たちがどれほど幸せな人なのかが分かります。そして、イエス様を信じる信仰を持つことがどれほど幸いかを知ることができます。福音は幸せな便りという意味です。 それは、私たちが神様の子どもとして祝福を享受することになるということだからです。

3. この幸いは、すべての人々への幸せへの招待です。

1)心が貧しい者は満たされないものがある人です。 経済的であれ、人間関係であれ、また世の中に対する義とか、すべての欠乏にある人は貧しい者です。イエス様は心が貧しい者という単語を使って単純な経済的な貧困ではなく、すべての欠乏がある人々に向かって神様の御国には欠乏がないと教えてくださっています。 私たちがいずれ行くことになる神様の永遠な御国がそうなるだろうが、この地でもそれが与えられるということです。私たちはイエス様が教えてくださった「主の祈り」でその約束を確認しています。「み国をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という部分には、神様の御国が今私たちの人生でも行われていることを知らせています。 そのため、現実的な欠乏と困難に直面した私たちがキリスト教信仰を持って勝ち抜くことができる理由になります。

2)悲しむ者は、慰めが必要な人です。 どんな理由であれ、涙を流すしかない状況に置かれた残念な心を神様は慰めてくださいます。原語であるギリシャ語はイエス様が使用した慰めを受けるという単語を未来形で表現しています。これは今も慰めが与えられますが、いつか神様の御国に行くことになる日、完全な慰めになってこれ以上涙を流さなくなることを意味しています。韓国の有名な俳優イ·グァンギという人がいます。 2009年に韓国で新型インフルエンザが流行した時、第一子を天国に見送らなければならない痛みを味わいました。 彼は誠実なクリスチャンであり、自分の痛みを信仰の中で乗り越えようと努力した信仰深い人でした。 そしてその涙をハイチ地震の被害を受けた子どもたちのために奉仕と支援金を集めることに変える美しい姿も見せてくれました。 しかし、彼の信仰の証しの注目すべき重要な部分があるのですが、痛みの中でも希望を語っているということです。いつか天国でまた会えるまでと言って、その日についてのことを話していました。クリスチャンはこの地でも慰められるでしょう。しかし、いつか私たちが神様に天国で会う日、すべての涙を拭って下さる神様の完全な慰めがあるとイエス様は私たちに教えてくださっています。

私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:34

3)柔和な者は、御国を受けつぎます。 柔和は一般的な性格を言うではなく、どんな状況にも変わらず謙遜に神様を頼って祈ることを言います。国を得るためには、古代には戦争をして奪い取らなければなりませんでした。小作人のように、自分の土地ではなく、地主から借りた土地を耕し、収穫した農産物を納めなければなりませんでした。しかし、イスラエルはモーセの律法によって先祖から与えられた土地があったため、他の民族ほどひどくありませんでした。しかし、これも権力者や高い利子を得てお金を貸す者たちによって奪われ、貧しくなった人が多くなりました。そんな人々にイエス様は悪い心ではなく、柔和で謙遜な心を持っても神様から与えられる土地を遺産として受け継ぐということを知らせていらっしゃいます。そのように競争して生きなくても謙遜に神様を頼りに誠実に生きていく時、この地での人生を神様が保障してくれて、また永遠の神様の御国を私たちにくださるということを教えてくださっています。この世の中を生きるために、今日も疲れで生きていく私たちにくださる神様の慰めを聞いて平安であることを願います。

4)正しい人生に対する渇望(飢え乾く)を持った人々に、神様はイエス·キリストという最も豊かな義を与えられました。罪人になった人間が生きていく世の中には、私たちが渇望する義理堅い世界を見ることができません。それは歴史が絶えず記録していることです。これは人間が作り出す世の中の義ではなく、ただ神様によって与えられた救いと恵みがなければならないことです。人々の義に向けた空腹は生命のパンであり、贖い主の約束として流した血だけが満腹になることがあります。ただ神様だけが義の方だからです。

5)他の人の困難に共感し、慰めを伝える人には、自分が困難に直面している時に同じ慰めを受けることでしょう。これは恩返しするという言葉でも理解できますが、より深い意味があります。とても赦せない相手を赦して哀れに思う心に対する教えがあります。それはイエス·キリストの心です。 私たち人間に対する愛と罪に対する赦しは、私たちがそのような愛と赦しを与える理由がないにもかかわらず、哀れに思うことと愛を与えてくださいました。キリスト教信仰は、まさにそのようなイエス·キリストの心から始まって行われていく恵みがあります。

6)心がきよい者が神様を見ます。 心がきよくない者は神様を見ることができません。 私たちが神様を見られないのは心がきよくない罪人だからです。それをきよめられた方がまさにイエス様です。私たちの罪を雪より白くした方です。そのために十字架を背負って私たちにきよい心を持つようにしました。神様を見るということは、単に神様を目撃するという意味以上の深い関係を意味します。神様と共にいるという意味であり、そして神様と共に困難で勝ち抜いて喜びも経験し、神様のおかげで私ができる話があるということです。

7)平和をつくる者は、神の子どもと呼ばれるようになります。和平をつくる者は王や権力を持った人です。そのため、聖書と古代文書にはこのような人々の王と権力者としての役割で平和を与える偉大な人だと説明する時、この単語を使うそうです。そんな平和を与える存在として私たちが生きていくことができると言います。型破りで革命的な宣言です。 これが可能なのは、イエス·キリストが平和にするために来られたからです。イエス様はまず、神様と私たち人間の緊張と対立した関係を平和にしてくださいました。そして、多くの人々をお互いに平和にするようにしました。神様と先に和平をつくる私たちが福音を持って多くの人々と和平をつくることができるようになりました。クリスチャンは平和を愛し、平和をつくる人々です。福音が入ったところには平和がなされ、平和な共同体と社会が実現されます。初代教会の多くの人々が迫害を受けて殉教しました。 しかし、これに対して暴力的な方法で抵抗することなく、素直に殉教の席に進みました。このような極めて無抵抗な姿は愚かで愚かに見えますが、313年、結局信仰の自由が宣言され、全世界的な3大宗教になりました。これは十字架に進んでかけられたイエス様の姿と似ています。キリスト教の信仰は、そのため平和の信仰であり、弱そうに見えますが、むしろ強い信仰です。それで私たちを、平和をくださったイエス様のように神様の子どもとしての人生の態度を持って暮らせるようにしたのです。

8)そして、このすべての人生に対して脅威し、迫害を受けた時に喜んで楽しむ逆説的な恵みが与えられます。そして、そのすべてはこの世とこれ以上比較できない天からの貴重なほまれ認められる結果が与えられます。

最後に

今日、クリスチャンが受ける八つの幸い(祝福)についてみてまいりました。一つずつ説教をしても1時間が足りないほど豊かな恵みがあります。イエス様の深い恵みの単語表現、このようなものを弟子たちがそのまま福音書に残しておいたためです。 短い時間ですから全体的で大まかな意味と内容を簡単に見てみました。

そして、このイエス様の教えが私たちに与える意味のあるメッセージは、まさに私たちを救い、回復し、幸せを与えたということです。この世を生きるためには、私たちは生きていく力がなければなりません。その力がお金だという主張もあれば、社会的な人間関係だという主張もあります。また、道徳的で政治的な生活の追求だという主張もあります。しかし、イエス様は人間が持つ罪の限界と、そしてその悲惨さをあまりにもよくご存知です。そして、内面に残っている神様の形で、正しい人生に対して渇望することもご存知です。人間のすべての部分の欠乏と痛みに対する神様の回復と治癒のメッセージとして、この8つの幸いについての教えを私たちにくださいました。これこそ福音が持つ深さと恵みです。単純にイエス様を信じて天国に行くだけではありません。神様がつくってくださいましたが、壊れたこの世の中を神様がつくってくださった神様の御心のままに生きていくように召されました。それが私たちに与えられた本来の祝福と恵みであるのです。

皆さんの一週間が、この8つの幸いの恵みが溢れることを祈ります。

Since 2024/4/14 Updated 2024/4/29