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2023年 4月21日
主日礼拝

説教
使徒が伝道する中で出会った困難

使徒の働き 4章1節ー22節

4:1 ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。
4:2 彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、
4:3 二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。
4:4 しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。
4:5 翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。
4:6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。
4:7 彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。
4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
4:9 私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
4:13 彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
4:14 そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
4:15 彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。
4:16 「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。
4:17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
4:18 そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。
4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」
4:21 そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。それは、皆の者がこの出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、二人を罰する術がなかったからである。
4:22 このしるしによって癒やされた人は、四十歳を過ぎていた。

ファン・グオホア
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当日の説教


説教要旨

 使徒がイエスのことを語っていると、祭司や宮の守衛長、サドカイ人達が突然やって来て使徒達を捕まえました。そして彼らに何の権威によって、誰の名によって足の不自由な人の身に、あのようなことをしたのかと尋問したのです。使徒達はこの時、チャンスを逃さずに、これらの民の指導者達にイエスを証ししました。この人達はこう使徒に質問しました。何の権威によって-彼らは聖霊を知らず、誰の名によって-彼らはキリストを知らなかったのです。使徒が尋問を受けたとき、使徒達はどのように彼らに答えたでしょう。

「あなたがたが十字架につけた主イエス、父なる神が死からよみがえらせたイエス・キリストの名によるのです。あなたがたが捨て去ったイエスは神の愛する子です。なぜなら彼は世界中の一人ひとりのために、この世界に来て、全ての人のために自ら命を捨ててくださったからです。彼は要の石、父なる神の救いの計画の中心です。イエス以外に救いを成し遂げることのできる者はありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は与えられていません。ただイエスの名だけなのです。彼こそ、人類の唯一の道であり、真理であり、生命なのです。」

 4章の始めに、ペテロとヨハネが民に話していると、とありますが、それはイエス・キリストについて話していたのであり、神の福音についてです。4節には話を聞いた人々のうち大勢が信じたとあります。この信じた人というのは、悔い改めてイエスを救い主として受け入れた人です。今日、神の子とされた私たちは自分の話す言葉に慎重であるべきです。自分の話す言葉と悔い改めの心が一致するべきです。私たちはキリスト者として、言葉と行いに気をつけて生きましょう。新約聖書ヤコブの手紙にあるように、私たちの生命は舌にコントロールされています。私たちは、人の成長に役立つことば(エペソ4:29)やイエスを証しすることばを語るべきです。私たちが他の人に真理を語り、神のことを話すとき、ある人は笑い、ある人は全く心に留めず、ある人は抵抗したり非難したりするかもしれません。しかしある人達は福音を信じて受け入れるでしょう。この福音は事実、神の大いなる御業だからです。

 使徒が話している時、突然ある人達が彼らを捕まえました。これは突然の出来事でした。私たちの信仰の歩みにも、多くの予測できないことが起こります。私たちはどのような態度でそれらに立ち向かうでしょうか。イスラエルの民のように神に文句をいうでしょうか。それともイエスの母のように主の御心がこの身になりますようにと願うでしょうか。

 使徒達は捕まってからも、恐れおののいたりせず、続けて、民の指導者達にイエスは死からよみがえられた主であることを証ししました。結果は、やはり使徒達から何の罰すべきことも見つけられず、釈放されました。人々もまた、これらの出来事のゆえに、神をあがめたのです。

Since 2024/4/21 Updated 2024/4/29