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2023年 4月28日
主日礼拝

説教
ロトを救うアブラハム

創世記 14章 11~16節

14:11 四人の王たちは、ソドムとゴモラのすべての財産とすべての食糧を奪って行った。
14:12 また彼らは、アブラムの甥のロトとその財産も奪って行った。ロトはソドムに住んでいた。
14:13 一人の逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムは、アモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
14:14 アブラムは、自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家で生まれて訓練された者三百十八人を引き連れて、ダンまで追跡した。
14:15 夜、アブラムとそのしもべたちは分かれて彼らを攻め、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで追跡した。
14:16 そして、アブラムはすべての財産を取り戻し、親類のロトとその財産、それに女たちやほかの人々も取り戻した。

車 孝振 牧師
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当日の説教


説教要旨

1. 戦争が起こった理由

古代近東に戦争が起こりました。12年間貢ぎ物を捧げた国々が、これ以上貢ぎ物を納めることを嫌い、力を合わせて大国を攻撃したのです。これらの小さな国、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイム、ツォアルは、今の死海周辺に小さな小王国を形成していました。しかし、彼らの反乱はうまくいかず、ソドムとゴモは大きな国、ケドルラオメルにすべての財物と糧食を奪われました。ソドムに居住していたロトと彼の家族も捕虜になります。

戦争は古代のアブラハムの時代にも、現代も絶えずあちこちで起こります。平和のために、そして民族のために、そのほか何らか正しい理由で戦争を起こしますが、本当の理由は欲のためです。結局、人のものを奪って自分のものを作るためのものから始まったのです。大きな国、そのケドルラオメルも小さな国も貢ぎ物という外交的な手段を放棄し、戦争を起こしたのです。そのケドルラオメルは、大きな国としての利益をあきらめないために勝ったにもかかわらず、残忍に奪い、人々を引っ張っていきました。小さな国のソドムと小さな王国の連合も、ケドルラオメルのように大きな力を持ち、豊かさを享受するために平和を犠牲にして戦争を起こしたので、ケドルラオメルと違いがありません。

神様から離れた人間の人生は、小さくても大きくても、その根源には貪欲と利己心があります。豊かで豊かな国ソドムの根源にも、このような堕落した人間欲望がありました。そのような世の中で神様はアブラハムを自分の欲望ではなく神様を頼りに生きる人として召し、カナンに住ませ、周辺の人々はアブラハムを通じて神様を見ることができるようになりました。

私たちもそうです。大国間の戦争であれ、小さな個人的な人間関係の葛藤であれ、私たちが生きる堕落した世の中に、神様はアブラハムと同じように私たちを送りました。

2.ロトが選んだ結果

しかし、アブラハムがカナンに入ってくる時、すでに住んでいた人々は小さな部落を成している部族があれば、小さな国を作って王が治める国もありました。そのため、カナンに移ってきたばっかりのアブラハムは、そのような国々と部族との顔色をうかがうしかなく、自然と南方に行き、その一帯をさまようしかありませんでした。このようなアブラハムの人生を生きるよりは、力の強い国々の保護の下で、平和と幸福を享受しながら生きたいと願っていたロトは、欲望と堕落の都市であるソドムがエデンの園のように見えました。しかし、彼の心はそのままその家の人々に流れ、アブラハムの人々をライバルだと思って葛藤を起こすことになりました。神様を全面的に頼らないその欲望が同じ欲に染まった国ソドムを渇望させ、またそこに向かうように仕向けます。そして、その欲望によって戦争が起き、悲劇を迎えることになるのです。

今日のみことばも、ロトの家族が捕虜になることを話しています。ロトが望んだ結果ではないはずです。望んでもいないが、また知らなかったこのような人生の結果が神様なしに、または神様を全面的に頼らずに生きる人生の姿です。

ロトはアブラハムを通じて神様を知っていましたが、神様に頼ることをしない不信仰な一面を見せてくれます。しかし、そのような姿は今の私たちの姿と変わらないものでしょうか。私たちもある時点では私たちの欲と神様の頼らない心で決定をしてしまうことが多いのではないでしょうか。ですから聖書を毎日鏡のように照らし、私たちの心を見ることが必要です。そして、自分の心を正確に知り、神様に向かって心を開いて頼る信仰を持たなければなりません。 私たちが読んだロトの話は、私たちの鏡になっています。

2. 勇気を出す信仰

エジプトから帰ってきたアブラハムは、3兄弟が定着して暮らした町に住みながら、彼らと同盟を結んで生きていきます。彼らの名前はマムレ、エシコル、アネルでした。 そんな中、アブラハムは甥の家族が戦争に巻き込まれて捕虜として捕まってしまったという知らせを聞くことになります。そして、自分の家にいる318人を連れてロトを救出しに行きます。その時、一緒に暮らしていた隣人の3兄弟がアブラハムを助けるために一緒に戦争に参加します。アブラハムは彼らと共にゲリラ作戦でロトを救い、奪われた財産も再び訪れます。アブラハムと318人の勇士たち、そして3兄弟のこの素敵な成功的な作戦を読みながら、3つのポイントを話したいと思います。

1)アブラハムが勇気をだしたのです。

アブラハムはカナンに来て以後、ずっと他の部族を避けて遠ざける人生を生きてきました。他の部族が強くて怖かったからです。神様を頼りにしますが、依然として恐怖心が多い姿は私たちとさほど変わりません。エジプトでもファラオに妻を姉だと偽りながら、自分に迫った困難を避け、正面から対応しない姿を見せてくれました。むしろ神様がアブラハムを慰め、励ましてくださいます。そして、守り、導いてくださいます。アブラハムには、信仰はあるもののが、まだ弱く小さいものでした。 そのようなアブラハムが甥を救うために自分の家の人たちと隣人の助けを受けて戦場に出るということは、内面に大きな変化とまた大きな勇気が必要だったことでしょう。彼はどのように勇気を出したのでしょうか。まずは甥っ子を愛する心から始まりました。ロトは自分の兄弟の息子であり、自分の甥です。自分が息子のように育て、保護する対象でした。自分の家を引き継がせたかったほど、大切に思い、愛する対象でした。 だから、そのような甥の危険な状況を親になった立場で命をかけて戦うことができる勇気が生まれるしかないでしょう。そしてその次は、このような勇気は人間的な心から始まったものではなく、全面的に神を信頼する信仰から出てくるものです。神様が自分に現れて福を約束し、慰めた経験で神様が共にいるということを信頼するようになったのです。

このような勇気と信仰の決断は、私たちの信仰生活にも必要な要素です。私は弱いので神様を頼るかないのですが、最初から最後まで何もしないことを意味するのではありません。必要な決断をして決定をする時、前に置かれた恐怖で一歩を始めるのが難しい時、私たちの信仰は勇気を出して決定をさせ、困難に対抗しようとする強い心を持たせます。

初代教会の殉教者たちがそのような勇気を出して死の場所に行きました。そして、多くの信仰の先輩たちがそのような勇気を出して、教会を守り、受け継がせました。 どんなこともそのような勇気と決断なしになされたことはありませんでした。

2)アブラハムは隣人と一緒に暮らし、隣人から信頼を得ました。

1318節と1413節を見ると、アブラハムは以前のようにさまよわずに新しく到着した土地、樫の木のところで定住することを決心したようです。そして、以前の周辺の様々な部族を恐怖の対象ではなく、一緒に生活する隣人だと思って共存することにします。アモリ人のエシュコル、マムレ、アネルという3人兄弟の隣人と同盟を結び、共存し始めます。そして、ロトが捕まったという知らせを聞くと、自分の家の人たちを呼んで一緒にロトを救うために行こうと思います。そして隣人の3兄弟もアブラハムを助けるために一緒に参戦します。この姿から私たちはアブラハムの以前とは大きく変わったのを知ることができます。恐怖であちこちをさまよっていたアブラハムが居住を始めたという点、そして恐怖で怖くて嘘をついた弱い姿が他の部族と同等な位置で同盟を結びながら一緒に過ごすほど自信感ができたのが分かります。そしてアブラハムは自分の家の人たちを育てて訓練させ、自分の力も育てたのです。しかし、何よりも重要だと思う点は、危険な戦争に一緒に参加し、助けるほど、マムレ、エシュコル、アネルという3兄弟の信頼を得たということです。

ロトがアブラハムから離れましたが、神様はアブラハムを励まし、慰めました。しかし、それは彼の心が慰めをいただいて平安を得ることで終わるのではなく、彼の内面が神様によって強くなったということを意味します。彼のこのような心は、自分の家の人々をよく成長させ、力を持たせるだけでなく、隣人ともうまく過ごせるように信頼関係を形成できるようにしました。

私たちの信仰の成長は、祈りをより多くするとか、聖書をより多く知るとか、このようなものではありません。困難に直面した時に慰められ心の平安を得ることで終わるのではなく、私たちの前に置かれた人生を力強く堂々と生きられるように心の健康と堅固さを持たせるということです。ここで重要なのは、私たち自ら勇気を出す自尊心ではなく、神様が慰めてくださった力がその根源になるという点です。それで私たちが祈り、聖書を読んで神様をさらに知っていくことが重要なのです。

3)アブラハムの信仰が成長しました。

アブラハムは変わりつつありました。以前の弱いアブラハムではなく、戦争に飛び込むほど自信を持ったカナンに住む多くの部族の中の一つになったのです。そして近所の人とも信頼関係を作るほど共存する人生を生きていくようになりました。聖書がアブラハムの成熟を私たちに見せて下さる理由があります。私たちも成熟して成長できるということを教えるためです。そして、その成長を始め、導かれる方が神様だということを教えてくださっています。アブラハムの成長は、私たちが世の中でどんな姿で生きるかに関する良い模範になっています。柔軟ですが弱くなく、平和を成し遂げる人として周囲の信頼を得るのです。そして、大きな歴史の流れと影響の中にいる存在しかありませんが、神様の保護を受け、神様による主導権を持つことです。

このような姿は初めて神様がアダムを造った時、すでに与えられた本来の人間の人生でした。しかし、堕落して神様から離れた人間を、サタンは偽りのささやきで騙し、歪曲された人生を活かせるようにしました。欲と欲が対決して強い欲が世の中を支配するように見せましたが、実状は神様が導く人は見えない大きくて強い影響力で自身の人生と周辺を導いていくということを聖書は教えてくださいました

強くあってください。世が皆さんに勝ることはありません。

Since 2024/4/28 Updated 2024/4/29