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2025年1月19日
主日礼拝
説教 「ステパノの殉教前の説教③」

聖書
使徒の働き 7:44-50

7:44 私たちの先祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた方の命令どおりのものでした。
7:45 私たちの先祖たちは、この幕屋を受け継いで、神が自分たちの前から追い払ってくださった異邦の民の所有地に、ヨシュアとともにそれを運び入れ、ダビデの時代に至りました。
7:46 ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの家のために、幕屋のとどまるところを求めました。
7:47 そして、ソロモンが神のために家を建てました。
7:48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
7:49 『天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。
──主のことば──
わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。
7:50 これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。』


説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教


説教要旨


 先月は、神の託す使命を担う者とするために、神が80年かけてモーセを備え、訓練したというところまで話しました。エジプト王ファラオの抑圧と苦しみから、イスラエルの民を逃れさせ、神の約束の地に導き入れるためでした。
 44節にあかしの幕屋と書かれています。これは神がモーセに山の上で示したように作られました。あかしの箱の中にはじっかいを刻んだ2枚の石の板が入れられました。これは神の戒め、教え、規則です。幕屋は神が共にいてくださること、神の守りを意味します。
 詩篇23編には「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。」とあります。また、マタイの福音書には「その名はインマヌエルと呼ばれる。それは、訳すと、「神が私たちとともにおられる」という意味である」と書かれています。イスラエルの民は、これをずっと受け継いできました。神は彼らの前からカナン人を追い出し、あかしの箱と幕屋を約束の地に運び入れました。それは、イスラエルの民が、神を彼らの信仰に、生活の中に受け入れたことを表わしています。神を全ての中心にしたということです。
 ヨシュア記では主が与えて所有させようとしている地を分けることと、その地を占領することが書かれています。なぜでしょうか。当時ヨシュアが彼らに地を分け与える時、彼らは実質的にはまだその地を得ていませんでした。彼らはその地に住む外国人を追い出した時に、実際にその地を自分達のものとすることができたのです。彼らは神の助けに依り頼み、全ての敵に勝利し、約束の地を受け継ぎ、神の幕屋を約束の地に運び入れ、ダビデの時代に至りました。

 ダビデというと、また新たな時代に入っていきます。王の時代です。イスラエルの一番初めの王はダビデではなく、サウロでした。しかしサウロは王となってたった3年で神の御心から離れ、自分勝手な、自己中心な王となりました。神はサウロを王としたことを後悔し、サムエルにエッサイの家に行き、ダビデに油を注ぐように命じました。ダビデは神が探し出し、気に入った、神の御心にかなう王でした。

 サウロはどのようにして神から離れ、神に嫌われてしまったのでしょうか。彼は神にのみ依り頼むことをせず、神の言われたことに背き、すべきでないことを行い、何度も罪を犯しました。
 例えば、神がアマレク人を全て聖絶するように言われたとき、サウロは良いと思うものを残しました。また、自分の身分を超えて神にささげ物を献げたり、神に油注がれたダビデを何度も殺そうとしました。サウロは初めから終わりまで目覚めず、神に罪を悔い改めることをしませんでした。
 そこで神は御心にかなうダビデを探し出したのです。神はダビデを立て、助け、守り導き、真の平和の時代へと導かれました。

 ダビデの息子ソロモンが王位を継承し、平和の王、知恵の王と呼ばれました。周囲の国がおそってくることが無く、戦争もない平和な時代となりました。これらの全ては、ダビデ王と密接なつながりがあります。神は、ダビデを評して神の御心にかなう王と言われました。ダビデはどのようにして神の御心にかなう者となれたのでしょうか。私たちは歴史を見るときに、ダビデから生涯を通して学ぶべき事を教えられます。

1. ダビデは自分ではなく、神に依り頼んだ。(例えば、ゴリアテとの戦い)
2. ダビデは神を敬い、いつも自分に悪いところが無いか自分を見つめていた。
3. ダビデは自分が罪を犯したことを知ったとき、すぐに罪を認め悔い改めた。
4. 神を知り、自分を知っていた。

 ダビデは神に喜ばれる王となり、神の民を新たな高嶺へと導き、神を礼拝し、神に仕え、神の道を行い、当時の最も強い国となりました。これらの全ては神との関係と密接な関わりがあります。
 ダビデは神との関係を重視する王でした。ですから彼は勝利を得続けることができたのです。サウロが失敗し神に捨てられたのは、彼が神の道から離れ、人間的な方法で出来事の全てを処理したからです。

 神の子どもである私たちも、人や出来事、物に向かうとき、信仰生活あるいは、家庭、奉仕に関することであれ、自分の何かを捨て、イエス・キリストに立ち返り、イエスさまに主となり、王となっていただきましょう。

 

Since 2025/1/19 Updated 2025/2/3, 2/27