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2025年3月16日
主日礼拝
説教 「今日から福音を伝える」

聖書
使徒の働き 8:1-4

8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。
8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教


説教要旨


 使徒の働き1章から7章において、イエスの弟子たちが主イエスのことばに従って、エルサレムで主の約束された聖霊を待ち望み、聖霊に満たされてから、イエスが神の子であり、全人類の救い主であることを群衆に向かって証ししました。聖霊もまた弟子たちが伝えたことは間違いが無いことを証明し、聞いた人々の多くが悔い改め、主イエスを自分の救い主として受け入れました。その後、熱心に福音を伝えるあまり、やもめたちの毎日の配給のことがなおざりにされるということがおきました。使徒たちは、弟子たちの中から評判の良い人たちを7人選び、執事としてこれらの事を管理するようにしました。そして使徒たちは、福音を伝えることに専念するようになり、信じて受け入れる人々がますます増えていきました。それによって、弟子たちと信じた人々は迫害を受け、ステパノが捕まり殉教しました。ステパノが殉教する前、使徒たちはずっとエルサレムで人々に伝道し、主の福音をのべ伝えていました。

 そして、8章1節「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。」ここに「諸地方」とあります。彼らは一緒に集まっていたのではなく、それぞれ違う場所です。彼らが諸地方に散って行ったのは、苦難から逃れるためや自分の命の危機を心配してではなく、更に主の福音を伝え広めるためでした。彼らは主に託された使命がとてもハッキリしていました。

 弟子たちは環境が悪くなったからといって、主が彼らの心に与えられた感動と導きを変えることはしませんでした。彼らは、旧約のヨナのようではありません。神がヨナにニネベに行って神の言葉を伝えるように、彼らに40日後に神はこの町を滅ぼすことを伝えるようにと言った時、ヨナの反応はどうだったでしょう。彼は立ち上がりニネベとは反対の方向に向かい、神に託された使命から逃げ出しました。ヨナの心にあったのは、自我と自分中心と民族への憎しみでした。ですから彼は神に託された使命に背き、反対の方向に行き、これによって、同じ船に乗った人々も命を失うところでした。彼は自分中心のゆえに、神の御心を知りたいと願わなかったのです。聖書は私たちに、神は全ての人が悔い改めて、一人も滅びないことを願っておられることを教えています。例えば、迷子の羊や放蕩息子の喩えのように。

 私たちは旧約のアブラハムの祈りから、どのような態度でいるべきかを学ぶことができます。アブラハムが、神がソドムを滅ぼそうとしておられることを知ったとき、彼の反応はどのようなもので、どうしたでしょうか。彼は、一回、また一回と神の前に祈りました。もしこの町に50人の義人がいても、この町の全ての人を滅ぼしますか。それともこの50人の義人の故に、この町を滅ぼさないでしょうか。神の答えは、50人の義人がいたら、この町を滅ぼさないでした。もしアブラハムの祈りがこの50人の義人で留まり、続けて神に祈らなかったら、彼は本当の信仰の父ではなく、本当に神を知っている人でもなく、本当に神の御心を知っている人でもありません。
 多くのクリスチャンが、神の前に祈るときの態度は50人の義人のところで留まっているのではないでしょうか。私たちは、家族のために、教会のために、友だち、近所の人、そしてこの時代に生きている魂のために祈ったから、それでいいと思っていないでしょうか。アブラハムはどうしたでしょうか。彼は、一回、また一回とソドムのために祈り、神に切に願いました。40人なら、30人ならと。最後の一回では10人ではどうでしょうと祈りました。神はアブラハムに、10人の義人がいたら、この町は滅ぼさないと言われました。アブラハムには、神と同じように魂を愛する心がありました。ですから神は彼を喜び、神の友と呼ばれたのです。神はソドムを滅ぼす事をアブラハムに隠しませんでした。神はアブラハムに、ソドムの町の罪はすでに神の前に届いていると言われました。ですから神はソドムを滅ぼそうとされたのです。結果的にアブラハムは一回また一回と神の前にソドムのために祈るように導き出されました。アブラハムは本当に神の御心を知り、神の御心に生きている人でした。
 新約聖書を通して神は、神は一人も滅びることを望んでおられないこと、全ての人が悔い改めて救いを得ることを望んでおられることを、ハッキリと私たちに語っておられます。使徒の時代、使徒たちは迫害に遭い、酷いときには命を失っても、主の福音をのべ伝えました。当時彼らはエルサレムで迫害に遭い、殺され、牢屋に入れられ、エルサレムで伝道できなくなり、ユダヤとサマリアの諸地方に散って福音を伝えていきました。
 神はマタイの福音書の最後の大宣教命令や、使徒の働き1章8節において、聖霊があなた方の上に臨むとき、あなたがたは力を受け、エルサレム、ユダヤ、サマリア、地の果てにまで私の証人となるといわれました。

 今日私たちが読んだ聖書にあるように、散らされたその日から、弟子たちは散らされた所において福音を伝えながら巡り歩いたのです。これは、現在進行形であり、今も続いており、ずっと続いていくものです。私たちは引き続き祈り、引き続き主の福音をのべ伝えていくことが必要です。愛の心と、熱心さをもって、主と共に、この世界に向かってイエスこそ真の神であり、全人類の救い主であることを証ししていきましょう。

 

Since 2025/3/15 Updated 2025/3/18