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2025年8月17日
主日礼拝
説教 「主に出会ったサウロ」

聖書
使徒の働き 9:19b-25

9:19b サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、
9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。
9:21 これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」
9:22 しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。
9:23 かなりの日数がたち、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、
9:24 彼らの陰謀はサウロの知るところとなった。彼らはサウロを殺そうと、昼も夜も町の門を見張っていた。
9:25 そこで、彼の弟子たちは夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いにつり降ろした。

説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教


説教要旨


 サウロがダマスコに向かう道で主に出会ってから、体と心の両方に大きな変化が起きた。体は目が見えなくなり、人の助けがあってはじめて歩くことができた。心はかえって、自分がこれまで行ってきたことの全てが間違っていたことが見えるようになった。自分がこれまで頑なに守ってきた全ては、主に抵抗することだったのだ。この時になってやっと、自分がどれほど愚かであるかハッキリとわかった。そこでサウロは主の前に祈り、三日間食事もせず、断食と祈りをもって悔い改めた。
 その後主イエスに示されてアナニアがユダの家に行きサウロに会い、サウロのために祈った。彼の目が再び見えるようにと。17節に「再び見えるようになり、聖霊に満たされるため」とある。ここで聖書はサウロが見えるようになり、聖霊に満たされるためとあるが、これは聖霊に満たされることの重要性が表わされている。主はただ単に、サウロがこれまでしてきたことは主に抵抗することであったことを伝えるためや、主イエスがサウロを憐れんでくださることを知らせるために、アナニアに主の御名によってサウロの目を癒やさせたのではなく、主はサウロを選び、ご自分の器として用いようとしておられることを知らせたのである。聖書に聖霊に満たされるためと書いてある。聖霊に満たされた結果はどうなるだろう。主によって用いられるのだ。
 使徒1章8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒の働きの最初からずっと、途切れずに聖霊に満たされることが語られ、多くのあかしがある。彼らが聖霊に満たされたとき、力に満ち、大胆に主の証をした。彼らが信じている主イエスは神の子、全人類の救い主、私たちの罪の重荷を自らから進んで負って下さり、私たちのために十字架にかかり、私たちを罪の鎖から逃れさせてくださった救い主であると。
 しかも神は様々な奇跡を彼らに伴わせてくださった。彼らが伝えているこの道は真実であることを証明するために。主を信じている人は、主によって用いていただける。しかしその前に、ハッキリと知っていなければならないこと、それが聖霊に満たされ、聖霊の力を受けることだ。
 時に私たちは自分はとても弱いと感じたり、信仰生活を歩む原動力や熱く燃える迫るような心が無いと感じたり、熱心さや誠実さを求める心をだんだん失ったりする。こうなる全ての原因は私たちにある。私たちが自分の内側の全てを空っぽにして、主の聖霊に満たされることを望まない心や、私たちの全てにおいて主に主権を持っていただくことを望まない心があるからだ。
 そのような時、信仰生活は収拾がつかず、失敗する。主に憐れみを求め、今、この時から、主の元に立ち返り、主に私たちの主権を握っていただこう。
 サウロのように、主の前に悔い改め、祈ろう。主の答えは、アナニアに示された。行って、サウロのために祈り、彼の目が見えるように癒やし、聖霊に満たされるように。アナニアがユダの家に着いてサウロに会い、祈った後起きた出来事は何だっただろうか。サウロの目が再び見えるようになり、元気になり、力に満ち、弟子たちと共にいた。
 何日かして、諸会堂でイエスはキリストであると宣べ伝えはじめた。もたらされた結果は何だっただろうか。ペテロのように3,000人、5,000人も悔い改めることはなかった。かえってある人たちは、以前この道を迫害していた人が、今はこの道を宣べ伝えていると非常に驚いた。ある人たちは抵抗し、更にあるユダヤ人たちはサウロを殺そうとした。
 ですから私たちは、この人は福音を聞いたからきっと悔い改めるだろう、イエスを受け入れるだろう、イエスは神の子、人類の救い主だと認めるだろうと自分で勝手に考えるべきではない。私たちは誰かを悔い改めさせたり、神の福音を受け入れさせたりする力を持っていない。これらの一切は、神の働きであり、聖霊の力によるのだ。
 私たちの責任と使命は、この福音のよい知らせを、まだ福音を聞いたことの無い人に伝えることだ。この世界にはただ一人の真の神がおられる。彼らを愛して、彼らの罪のために自ら進んで十字架にかかられたお方がおられることを。聖書にあるように、伝える人が誰もいなければ、どうして聞くことができるだろうか。もし聞いたことがなければ、どうして信じる事ができるだろうか。
 ですから、私たちもサウロに倣おう。イエスに出会い、神の子であると知ったなら、断食と祈りをもって主の前に悔い改め、そして癒やされ、元気になり、聖霊の力に満たされ、抵抗する人を倒し、イエスはキリスト、神の子であると証ししよう。

 

Since 2025/8/17 Updated 2025/8/25