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2026年1月18日
主日礼拝
説教  「祈りの中で幻を見る」

聖書
使徒の働き 10章 9-16

10:9 翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。
10:10 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。
10:11 すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。
10:12 その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。
10:13 そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。
10:14 しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
10:15 すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」
10:16 このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。
説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教
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説教要旨


  ペテロはイエスに従う前は、魚を捕って生活していました。朝早く海に出て魚を捕り、夜遅く帰ります。時には一晩中魚を捕って翌日の朝帰るということもあったでしょう。魚を捕るにも時間の区切りがあります。いつ海に出るのか、どの場所か、いつが網を下ろすのに一番良い時か、もしそれらを間違えば収穫も少ないでしょう。例えば、ルアーで釣りをするのも同じです。どこで、いつが最も良い時間か等。なぜこれらを話したかといいますと、ペテロの時間に対する理解とそれをどれほど重視していたかをお伝えしたかったからです。今日の聖書の箇所に、ペテロは昼の12時頃に祈るために屋上に上ったとあります。これはペテロの霊的生活の習慣であり順序です。毎日昼の12時に神の前に祈っていた。これは単なる習慣ではなく、ペテロの魂に対する重荷です。ですから、この時間になったら一切のことを手放して、神の前に集中して祈り求めていたのです。
  10節にペテロは空腹を覚え、何か食べたいと思ったとあります。時には、集中して祈っていたら時間を忘れ、お腹が空くのを感じないだろうと思う人もいるかもしれません。しかしこのような考えは完全に正しいとは言えないでしょう。空腹というのは体の本能的な感覚と必要ですし、私たちの主イエスも同じでした。聖書にイエスが40日間断食をした後で、空腹を覚えられた時、サタンがこの石を食べ物に変えたらどうだと誘惑したとあります。しかしイエスは神のみことばによってサタンの誘惑を退け、これらの全てに勝利されました。今日の私たちの失敗の多くは、神に依り頼み、神のみことばによって全ての誘惑と攻撃に抵抗することを習得していないためです。悪い者に騙され、がっかりし、失望し、おびえ、愛も信仰も希望も力も無いのです。酷いときには祈りすらいい加減になり、真実な重荷やハッキリとした方向や目標すらなくなります。神様が私たちを助けてくださり、毎日熱い思いと、担うべき重荷と力に満ち祈ることができますように。起きて先ず神の御前に出て、自分の霊的な生命のために、この世界の魂の救いのために、切実な態度で祈ることができますように。
  10節、ペテロは祈りの時に空腹になり、何か食べたくなりました。これは体の必要でしたが、神がペテロに与えようとしている物は違いました。ペテロは夢心地になり、幻を見ました。天が開き、ある物が降りてきました。マタイの福音書3章16節では天が開け、聖霊が鳩のようにイエスの上に降り、それからイエスは伝道を始められました。また、ヨハネの福音書1章51節では天が開き、神の使いが人の子の上を上り下りし、イエスが神の子であることを証しました。
  今日の箇所の11節では、天が開き、ある物が降りてきましたが、中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいました。そして「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声がしました。ペテロの反応はどうだったでしょう。ペテロは「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」ペテロは自分はきよくない物、汚れた物を一度も食べたことがありませんと、主張しました。自分は神の道を厳しく守り、自分を汚れた物に染めないと。ペテロは自分の理解にのっとって自分のしていることは正しいとしました。聖書の他のところにも、これと似たような箇所があります。ある時イエスが、ご自分が十字架につけられ、全人類のためにどのように死ぬのかを話しておられた時、ペテロはイエスに「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」と言いました。その時イエスはペテロに何と答えたでしょうか。「下がれ、サタン。あなたは、神のことを思わないで、人のことを思っている。」今日の箇所で、神はどのようにペテロに答えたでしょう。あの時と同じように、彼を褒めるのではなく、真理と神のみことばを守るように厳しくいましめたでしょうか。神はペテロに神がきよめた物を、きよくないと言ってはならないと言われました。神によって、全てのものはきよめられているのです。私たちの信仰には限りがあり、見えるものも限界があります。神の角度、神の目でこれらの物を見ることはできません。また、神を知ることにおいても、とても限界があります。ペテロのように以前からの考えにとらわれて、それを打ち破ることを望みません。神はイスラエルの民を愛しておられるだけでなく、全ての民を愛しておられ、イエスを十字架につけ全人類の罪を負わせられたのです。ですから、ここで神がきよめた物をきよくないと言ってはならないと言われているのです。私たちは、ペテロと同じような間違いを犯すことがありませんように。イエスの前に悔い改めていない魂を、良くないものと見ず、自分の一切の考えや先入観を捨てて、キリスト・イエスの心を自分の心とし、神から託された使命を成し遂げていきましょう。


 

Since 2026/1/18 Updated 2026/1/19