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2026年2月8日
主日礼拝
説教  「探す者は見いだす」

聖書
使徒の働き 10章 17-23節

10:17 ペテロが、今見た幻はいったいどういうことだろうか、と一人で思い惑っていると、なんと、コルネリウスから遣わされた人たちがシモンの家を捜し当てて、その門口に立ち、
10:18 声をかけて、「ペテロと呼ばれているシモンはここに泊まっていますか」と尋ねていた。
10:19 ペテロは幻について思い巡らしていたが、御霊が彼に言われた。「見なさい。三人の人があなたを訪ねて来ています。
10:20 さあ、下に降りて行き、ためらわずに彼らと一緒に行きなさい。わたしが彼らを遣わしたのです。」
10:21 そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って、言った。「あなたがたが探しているのは、この私です。どんなご用でおいでになったのですか。」
10:22 すると、彼らは言った。「正しい人で、神を恐れ、ユダヤの民全体に評判が良い百人隊長コルネリウスが、あなたを自分の家に招いて、あなたから話を聞くようにと、聖なる御使いから示されました。」
10:23 それでペテロは、彼らを迎え入れて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと一緒に出かけた。ヤッファの兄弟たちも数人同行した。
説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教
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説教要旨


 前回、ペテロが昼の祈りをしていたこと、毎日変わることのない霊的な生活を送っていたことを話しました。そのため神はペテロが祈っているとき天が開くという幻を彼に示されました。これはペテロにとって初めての経験でしたので、これは一体何なのか、この幻にはどんな意味があるのだろうかと考えていました。
今日の私たちクリスチャンも同じではないでしょうか。ある人は神からの幻を見て、ペテロと同じように神がこのような幻を見させるのは、一体なぜなのか。神の御心は何なのか。時にはこれは本当に神からきたものなのか疑ったりもするでしょう。
第一に私たちが考えるべきことは、私たち自身は本当に神を求め、心から神に近づきたいと願っているかということです。
第二に、私たちに主と同じような魂を愛する心があるかということです。
第三に、私たちは神の御ことばを完全に行っているかということです。
このような人に神は特別な幻と御心を示してくださるでしょう。旧約の信仰の先輩たちが経験したように。
例えばモーセ。彼は民を愛する心があり、荒野で羊を飼っていたとき、神はモーセに芝が燃えているのに燃え尽きないという幻を見せました。その後、彼に現れ神の民をエジプト王の手から助け出し、神のくださるカナンの地へ導くように、モーセを召し出されました。しかしこの時モーセはすでに80歳でした。なぜ神は彼がもっと若いときに召し出さず、80歳になったとき彼に現れ、イスラエルの民をエジプトから連れ出すように召されたのか、モーセにはわかりませんでした。ですから彼は神に対して「私は口が重く、舌が重いのです。私にはイスラエルの民をエジプトの王の手から逃れさせる力がありません。」と言ったのです。
当時、モーセの目は自分を見て、神の全能の力を見ていませんでした。神に仕える中で、少しずつ神を経験し、神を知り、神に依り頼むようになっていきました。
ペテロも同じです。自分を見、環境や波風を見ていました。後になって聖霊に依り頼み、主イエスキリストの方に向きを変えたのです。神の力に依り頼み伝道し、イエスキリストが神の子全人類の救い主だと証しました。主にある生命の成長があって、霊的な生活の習慣が身につき、毎日同じ時刻に主の前に祈り求めるようになったのです。そして神はペテロにご自身の御心を表わされました。しかし当時ペテロは神が彼に表わされた幻は一体どんな意味があるのかわかりませんでした。神は一歩一歩ペテロを導き彼の歩みを前へと進ませました。聖霊が「三人の人があなたを訪ねて来ています。下に降りて行き、ためらわずに彼らと一緒に行きなさい。わたしが彼らを遣わしたのです。」とペテロに言いました。
ここでもう一度コルネリウスについて見てみましょう。前回すでに彼はとても敬虔な人だと話しました。単に敬虔なだけでなく、家庭の中に信仰の祭壇を築き、家族と共に神を信じていました。
これはなかなかできないことです。なぜこういったのかといいますと、聖書の多くの偉人やリーダーたちも神を敬い、神に仕えていましたが、結果的に自分の次の世代は神の道を離れ、罪を犯し、神に罪を犯していきました。ダビデやエリ等も。コルネリウスは自分が敬虔な生活を過ごすだけでなく、模範となり、神を生きて証しし、家族に影響を与えて導き、皆が神を敬い、いつも神の教えと真理を行っていたからです。ですから神は彼の祈りと求めを聞き、彼に現れ、これから歩む道を示してくださったのです。
マタイ7章7-8節に「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見いだします。」とあります。誰でも、求める者は受け、探す者は見いだします。神のことばは変わることがありません。イエスはこう言われました。世界は変わる、しかし神のことばは一点一画も変わることがなく、全て成就すると。
なぜ多くの場合、私たちの祈り求めは神からの答えを得ることができず、私たちは恨んだり神を疑ったりするのでしょうか。ここにはハッキリと誰でも求める者は得ると書かれているのに、神は嘘を言っているのでしょうか。もちろんそうではありません。神は本当に私たちを愛し、ご自分の愛する独り子を私たち全人類のために十字架に掛け、血を流し、命を捨て、私たちの全ての罪を負ってくださったのです。神がして下さったことを通して、私たちは神の愛がどれほど広く深いかを見ることができます。それならば、なぜ私たちは祈り求めの答えを得ることができないのでしょうか。神は私たちの祈りが聞こえないのでしょうか。それとも他に何か原因があるのでしょうか。
聖書にすでにハッキリと書かれています。アブラハム、モーセ、エリヤ、ダビデ、ソロモンそして今日のコルネリウス、彼らが祈った神は彼らに答えを与えられました。それは彼らが神を敬い、神を愛し、神に依り頼み、何より神を信じ、神の御心を行ったからです。ですから神は彼らに現れ、答えてくださったのです。今日の聖書の箇所のペテロやコルネリウスに現れ、あなたの施しとあなたの祈りは神に届き、神に覚えられていると。
私たちにも神が現れてくださり、これからすべきこと、行くべき道を示してくださいますように。。


 

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