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2026年3月15日
主日礼拝
説教  「外国人に伝道するペテロ」

聖書
使徒の働き 10章 24~33節

10:24 そして次の日、ペテロはカイサリアに着いた。コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていた。
10:25 ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。
10:26 するとペテロは彼を起こして、「お立ちください。私も同じ人間です」と言った。
10:27 そして、コルネリウスとことばを交わしながら家に入り、多くの人が集まっているのを見て、
10:28 その人たちにこう言った。「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、外国人を訪問したりすることは許されていません。ところが、神は私に、どんな人のことも、きよくない者であるとか汚れた者であるとか言ってはならないことを、示してくださいました。
10:29 それで、お招きを受けたとき、ためらうことなく来たのです。そこでお尋ねしますが、あなたがたは、どういうわけで私をお招きになったのですか。」
10:30 すると、コルネリウスが言った。「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、なんと、輝いた衣を着た人が私の前に立って、
10:31 こう言いました。『コルネリウス。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられています。
10:32 だから、ヤッファに人を送って、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。この人は海辺にある、皮なめし職人のシモンの家に泊まっています。』
10:33 それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。ようこそおいでくださいました。今、私たちはみな、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、神の御前に出ております。」
説教 :
ファン・グオホア 師
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当日の説教
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説教要旨


 今日の箇所の前にペテロが経験した全てについて、幻を見たり、コルネリウスが遣わした人がペテロに会いに来たりしたことも、当時のペテロにはイエスの示されたことの意味が何なのかハッキリわかっていませんでした。ですから聖書にはペテロは幻を見た後、思い惑っていたとあります。なぜこのような幻を見たのか、なぜ「ペテロ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえたのかと、ペテロは思い惑っていました。ペテロの伝統的な意識は非常に強いものです。幻を見、声の指示を聞きましたが、ペテロの反応は、「一度もきよくない物や汚れた物を食べたことがありません」でした。しかも彼は、神がなぜ自分にこれらの物を食べさせるのか理解できませんでした。聖書には、ペテロが神の指示を静まって思っていたのではなく、これらの全ての事について思い惑っていたとあります。今日のクリスチャンも同じではないでしょうか。何かのできごとが起きたとき、自分の立場や見方の上に立って物事を決定してしまい、神の指示に従って事を全うすることがないのでないでしょうか。
例えば祈り。聖書には、私たちが求めるなら得、探すならば見いだすとあります。今日の教会の中で、どれほどの人が求めて得、探して見いだしているでしょう。祈っても得られず、探しても見いだせない、そして疑い始めます。神は私を愛しておられないのだろうか、神は私を見捨ててしまったのだろうか、神は私の祈りを聞きたくないのではないだろうか。様々な考えが浮かびます。更には、神は本当にいるのだろうか、神は本当に共にいてくださるのだろうかと、疑い始める人もいるかもしれません。神様、どうかこのような思いにとらわれている人がいたなら特別な恵みを施してくださり、その人が神の許しの中に戻ってくることができますように。神は私たちを最後まで徹底的に愛してくださるお方です。最後まで、徹底的とはどういうことでしょうか。いつまでも愛し、変わらずに愛してくださるということです。主が再び来られて私たちを連れて永遠の御国に入れてくださるその日まで。ですから私たちは、神の指示と導きに従っていくために、絶えず新しくされ、変えられていくことが必要です。
ペテロはどうだったでしょう。思い惑いから、静まって思う心に、そして神の指示に従うように変えられました。同時に神はペテロにこれからすべきことの全てを示され、そのように進めていかれました。
24節、ペテロと何人かの兄弟は共に行き、カイサリアに入りました。これは非常に大きな境界線を越える出来事でした。「一度も外国人の町に入ったことがない」ところから「入る」に至り、「一度も外国人に接したことがない」ところから「接する」に至り、「一度も外国人に福音を伝えたことがない」ところから「外国人に福音を伝える」に至ったのです。
28節、ペテロは彼らにこう言いました。「ご存じのとおり、ユダヤ人には、外国人と交わったり、外国人を訪問したりすることは許されていません。」ですから外国人と行き来することは今まで一度もなかったわけです。しかしペテロは外国人に神の愛と救いを証しました。神が、どんな人のこともきよくないとか汚れているとか言ってはいけないとペテロに示してくださったからです。ですから、招かれたときにためらうことなく神の指示に従って来たわけです。
ペテロは彼らに、どういうわけで私をお招きになったのですかと質問しました。ペテロは当時、神は自分に何をさせようとしておられるのか全く知りませんでした。しかし、神がペテロに彼らと共に行きなさいと言われたので、ペテロは正しい選択をし、彼らと共にカイサリアに来ました。
コルネリウスは、四日前の自分の経験を話しました。祈っているときに、一人の人が自分に語りかけたことを話しました。あなたの祈りと施しは、神に聞き入れられ覚えられている。しかしそれだけでは足りない。主の弟子のペテロをあなたの家に招きなさい。そして、主がペテロに語らせることを聞きなさい。それは、神の道です。
 コルネリウスは神の道を知りたいと渇き求めていました。また自分だけでなく、更に多くの外国人も神の真理を知ることになりました。コルネリウスは神を愛している人でした。しかも自分だけが得られればよいというのではなく、更に多くの人が知ることを願っていました。ですから、ペテロがまだ到着する前に、自分の友だちや親族を家に呼び集めて待っていたのです。


 

Since 2026/3/15 Updated 2026/3/19